夢への軌跡_人の話を聞く・聴く

20161218_2_【人の話を聞く】

今日はセミナーに参加しました。
忘年会というお酒の席でしたが、
私は飲みません。

なぜなら、夢を追いかけているから。

今回のお題は、【人の話を聞く】です。
聞き方にもたくさんの方法がありますよね。

私は、傾聴という姿勢をとり、
本当に何か役に立てないかを考えて聴いています。
そこに、何があるのか?
そして、何を求められているのか?

私が、役に立てるのか?
と考えて、話を聴きました。

どうやら、その方は、藁にもすがる思いで参加したらしく
時間が経つにつれ、心が溶けてきたようでした。
実のところ、その方は年配の方であり、
私の父親といっても良いくらいの年齢でした。

それでも、夢を追いかけたいという気持ちが強く
参加したようです。

彼は、いろいろな情報を入手しては、挫折という背景があるようです。
そして、夢を追いかけるにも、何をやっても
うまくいかないと嘆いていました。

私は、
『まず、目標設定をしましょう。
◯◯を、徹底的に極めましょう。
そして、正解が出てきたら△△に取り組みましょう。
その後は、また、考えましょう。
そこまで行くと、先が見えますから。』
と伝えました。

その方は、「いやぁ、来た甲斐があったよ。福山さん。」
と喜んでくれました。

私の存在が少しでも、役立ってくれれば、嬉しいですね。

私が、そのような話ができたのは、
【傾聴の姿勢】
が出来ていたからだと思います。

常に、そういう気持ちを持って話を聞くと
役に立ったという満足感がありますね。

そして、この話も面白いです。
http://mdc888.jp/lp/8060/510114/
画像は、リムジンと迎賓館です。
今日は、これに乗って来ました。

20161218_rimujin
決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。