夢への軌跡_エニアグラムで自分を知る

20161218_エニアグラムで自分を知る

 

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【エニアグラムで自分を知る】

 

おはようございます。

今日は大事な忘年会です。(笑)

2017年をどのように過ごすかも自分次第ですね。

 

1週間ほど前、エニアグラムの専門家である木村先生に

スカイプ講座を開いてもらいました。

自分を知るという点では非常に良い機会であり、

今後の方向性にも影響が出る内容でした。

 

そこで、今日のお題は、【エニアグラムで自分を知る】です。

 

何事も自分を知らないと始まらないですね。

勉強してきたから、それでOKというわけではないです。

やはり、アウトプットをおこなって、価値につながります。

 

まずは、いろいろな質問を受けました。

どちらかと言うと幼少期から高校までの話です。

親との接し方、親がどのようにご褒美を与えたか?

によって、大きく左右されるようです。

20161218_enia

ということは、私も娘に大きく左右させてしまっていると

言えるかもしれません。

非常に緊張して、見てもらいました。

 

スカイプなので楽です。

自宅で時間を確保して、面談となります。

実際には、過去に一度、お会いしているので

おぼろげながら、覚えてもらっているようでした。

 

「福山さんは、タイプ3ウィング2です。」

『やっぱりですか? でもウィング2については初耳です。』

「いやぁ、これは、福山さんの学生生活に起因します。

頼まれごとを断れない方はタイプ2です。」

『昔、学生のころ、アッシーやメッシーということをしていたからでしょうか?』

「まさしく、そうですね。」

 

私は、タイプ3ウィング2です。

これは、非常に自分にとっても大きな発見でした。

これをもとに、自らを磨いていきたいと思います。

 

色々なチャンスや試練が舞い込んできますが、

常にポジティブに考え、処理をしていきます。

もちろん、言い分はしっかりと伝えます。(笑)

 

そうでないと、今までの自分の軌跡が否定されてしまいますので。

 

エニアグラムについては、木村先生へ質問してくださいね。

私は、まだまだ、勉強中です。(笑)

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。