夢への軌跡_自叙伝の意味

20160810_【自叙伝の意味】

【自叙伝の意味】

おはようございます。

昨日の関東は暑かったです。

文句を言わず、暑かったです。

途中でめまいが出そうになりました。

見ている景色がぐるぐる回っているんですよね。

イヤぁ、しんどい1日でした。

さて、今日の話題は、【自叙伝の意味】です。

昨日は、長年、お付き合いをしている生命保険の

営業さんとお話をする機会に恵まれました。

その担当さんは、今回、「初めまして」の方なのですが、

私が、なぜ、この保険に入ったのかを

明確に理解したいとのことで面談となりました。

しかし、この生保さんは、なかなか、面談する機会もなく

担当者もコロコロと変わり

誰とコンタクトを取って良いのか、全くわからない状況でした。

先方からのアプローチがあり、

即面談となり、過去を振り返ってみました。

色々な保険に入っていましたが、

その当時のことを思い出すと

自分の人生を振り返っているようでした。

30年近く、同じ生保で付き合いはじめ

現在では、多くの保険金額を預けており、

家族第一主義の私の考えに沿った内容となっています。

そこで、今回は、過去を振り返り

リニューアルと言うことになりますが、

自分の考えを伝えたところ、

今まではできなかったことが、

今はできるようになっていることが多い

とのこと。

改めて面談することとなりました。

昭和の時代とは異なり、

変化に対応した企業体制が要求され、

生保も動いているのだなぁと感じました。

最も遅れている我が業界も『てこいれ』を視野に入れつつ

丁寧な対応を要求されることが必須であると痛感しました。

少しでも社会貢献ができるように

変化に対応できるように

心の準備をしっかりとして

動けるようになりたいと考えました。

保険屋さん、気付きをありがとうございます。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。