夢への軌跡_糖質制限30_9ヶ月後の結果

20160911_糖質制限30_9ヶ月後の結果

【糖質制限30_9ヶ月後の結果】

おはようございます。

日曜日ですね。
ゆったりとして時間が流れているような気がします。
昨日、定期検査があり、何ら、問題ない
このまま継続と言う結果が出て、
「ホッ」と一安心でした。
お酒も解禁し、有意義な時間を過ごしています。

さて、今日のお題は、【糖質制限30_9ヶ月後の結果】です。
昨年11月の健康診断を境に【糖質制限】と言う言葉を知った私は、
医師の指導の下、継続的に糖質制限を行ってきました。

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結果、
HbA1c は 7.3 → 6.0 へ改善し、
尿酸値が増加したものの、心配ないとのことでした。
体重は昨日、65.8㎏であり、
見た目より、ずいぶん減少しているように感じます。

糖質制限になれていると、どうしてもお腹がいっぱいになると
終わりになってしまいます。
私の場合、尿酸値が7.7と上昇していましたが、
医師曰はく、「カロリーが足りない」とのこと。

糖質制限を継続していると、どうしても
お腹いっぱいになってしまうと、食事を終わりにしてしまうため
カロリーが少なくなるようです。

すると、尿酸値が上昇するようです。
チーズやナッツで補うよう指示が出ましたので
今日は大きなミックスナッツを購入してきました。
カシューナッツは要注意ですけど。

ということで、
無事に9ヶ月後も過ごすことができ、
感謝です。

明日以降も継続ですね。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。