夢への軌跡_気持ちが壊れます。

20240330_気持ちが壊れます。

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【気持ちが壊れます。】

 

3月30日 土曜日です。

 

3月も終わりです。

今日から南関東は夏日に向かって

気温が上昇していきます。

 

今日の最高気温も24℃という予報なので、

衣服の調整が必要です。

 

昨日は、私・お父さんにとって

『永遠の35歳』へ戻ることとなり

しっかりと準備を行なってきました。

 

帰宅後は、親戚との遭遇となり

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の病状確認となりました。

 

半ば、諦めていた病状についても

『なんとか復活できないか?』

と考えるようになりました。

 

入院19日目 挿管18日目

ということで、今日のお題は、

【気持ちが壊れます。】

です。

 

そもそも、重篤な状況に陥ることなく

生還すると考えていた私・お父さんです。

 

311に救急搬送された時には

『多分、また、戻ってくるであろう。』

と、安易に考えていたのは事実です。

 

しかし、現状は、かなり厳しい状況となり

復活は難しくなりました。

 

現時点での選択肢は

旅立ちか重心か

となります。

 

どうしても受け入れられない

私・お父さんの気持ちです。

お母さん(監督)は、

「もういいよ。頑張らなくて良いよ。」

と言っていますが、

 

私・お父さんの気持ちとしては

完全復活の可能性を探っています。

 

しかし、現実は、

全身麻酔薬を追加で投与されて

私・お父さんの気持ちも壊れていきます。

 

『なんとか、復活できないか?』

と毎日の面会で伝えていますが、

この思いが

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)を苦しめているのかもしれません。

私・お父さんが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に

「頑張らなくて良いよ。」

と言ってあげることが正解なのかどうかも

わかりません。

 

しかし、

お母さん(監督)の健康状態を考えると

『頑張らなくて良いよ。』

と言ってあげることが正解なのかもしれません。

20歳を超えて

人様の世話になりつつ生き延びるのは

親としては、許容範囲を超えてきます。

 

どこかで願っていた思いを

払拭する時期がやってきているのかも

しれないなぁ。

と考えることとなります。

【気持ちが壊れます。】

とは、

今後の家族の在り方を考える機会となりました。

 

私・お父さんのエゴを貫き通すと

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に更に

頑張らせないといけないという事実と

お母さん(監督)をこれ以上苦しめることとなりそうです。

 

毎日の面会時に

お母さん(監督)の気持ちを汲み取り

私・お父さんも

自分のエゴを消していくことが望ましいのかもしれません。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月30日 土曜日です。

 

動かないチャートで

しっかりと学びを得たいと思います。

 

昨日、金曜日は東京市場だけのトレードとして

7 pipsを得て逃げました。

 

今後の展開は、

じっくりと考えたいと思います。

 

月曜日はイースターとなるので

東京市場だけの短期トレードが望ましいと

現時点では考えています。 

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。