夢への軌跡_家族会議は必要です。

20240329_家族会議は必要です。

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【家族会議は必要です。】

 

3月29日 金曜日です。

 

月末です。

雨でスタートとなる金曜日の南関東です。

 

昨日は、ガーデニングを行い

お母さん(監督)のメンタル面をケアする時間となりました。

 

なかなか、しんどい作業となります。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が

我が家にいた頃にはできなかった作業を

夫婦で行なっています。

 

入院18日目、挿管17日目

ということで、今日のお題は、

【家族会議は必要です。】

です。

 

毎日、午前中は

お母さん(監督)との家族会議となる

我が家です。

 

今後の小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の状況を

考えつつ、

『何がベストか?』

で考えています。

 

入院で2週間を超え、

さらには

人工呼吸器でのお世話になり

2週間を超えると

まずいです。

 

というのは私・お父さんの経験です。

昨日、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)との面会で

改めて主治医から病状説明があり

新たに全身麻酔薬が追加されました。

 

一昨日の病状説明では

寛解という状況も考えられ、

悪くはならないものの

良くもならないという状況と

判断していましたが、

改めてまずくなりました。

 

その状況を確認したお母さん(監督)は

「もういいよ。無理しなくて良いよ。」

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に話しかけていました。

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

耳は聞こえているようで

お母さん(監督)の声には反応していますが、

その反応が悪い方向へ傾くことがあり

無闇に声かけすらできない状況となります。

 

我が家にとって

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

旅立ってもらった方が良いのかもしれません。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

一人では生きていかれず、

今後、生かされるという状況となるのであれば、

旅立ちを応援する方が良いのか?

というジレンマに襲われます。

面会時間は涙の時間となり

全力を尽くしてもらえている

医師には申し訳ないのですが、

タイミングかもしれませんね。

 

お母さん(監督)と私・お父さんは

半ば、諦めており

毎日の面談を行なっています。

 

一人で生活ができない状況であれば、

我々亡き後の生活が危ぶまれますから。

【家族会議は必要です。】

とは、

毎日、病状を確認して

何が小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にとってベストか?

を考えています。

 

「戻ってきてほしい。」

という切実な考えと

「戻ってきても辛い思いをさせてしまうかも?」

「改めて同じようなことが起こるかも?」

という恐怖感に襲われています。

 

結果は、神のみぞ知る状況となりますが、

我々のできることを

一生懸命行うのみとなります。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月29日 金曜日です。

 

今日は遠目からチャートを見る必要がありそうです。

イースターとなるので

参加者が少ないということが言えそうです。

 

昨日は、NZD/JPYで

何度か戻り売りを繰り返し

しっかりと利益を得ることができました。

 

感謝です。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。