夢への軌跡_信頼関係

20160805_信頼関係

【信頼関係】

おはようございます。

8月になり、夏休みを取得する人も多いと思います。

交通事情はお盆前になったのでだいぶ混雑してきたかなぁと

感じる昨日の東京都内でした。

さて、今日のお題は【信頼関係】です。

会社員である私は、上司さんに呼ばれ

日ごろ、行かない本社に到着しました。

面談内容は、ある事件のいきさつなのですが、

事実を確認したいとのこと。

『ん?』と思った私は

イヤーな雰囲気を抱えて本社に到着しました。

何の話題かと思えば、

私の言動に関し、

「競合する会社に社外秘の情報を流している。」

という疑惑が・・・

ある意味、仰天したのですが、

ここは、【刺激と反応】の空間を利用し、

ぐっと我慢しました。

【刺激と反応】の空間の詳細はこちらです。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12186360321.html

どうも事実を確認したいようで

事実をありのままに説明しました。

しかし、ふと見ると、『私の顔を凝視しているではないか?』

さては、『どこかで嘘がないか、確認しているな。』

と思った私は、【信頼関係】について、確認しました。

『はっきり言って、疑っているでしょ?』

「そんなことないですよ。」

『では、凝視の理由はなに?』

「事実を確かめたいだけです。」

この会話、年齢的には私の方が上なので

上司と言えども、タメ口です。(笑)

『申し訳ないけど、会社の利益を侵害するような言動はしていませんよ。』

「わかります。だから、確認したいんです。コンプライアンス・・・」

『○○さん コンプライアンスについては、話が長くなるので、またにしましょう。』

「わかりました。」

『【信頼関係】って何で成り立っているかわかりますか?』

「・・・」

『人格と能力ですよ。』

『○○さんが、私を疑っているのは理解できますが、
偏見を外さないと人格否定になりますよ。』

「・・・」

『能力は申し訳ないけど、私の方がこの製品については上ですから。』

「それは、理解しています。」

『では、私の人格のどこが、社内規律(今回はコンプライアンスとは言いません。)に
反しているのか述べてください。』

「福山さんの言動を確認したいだけです。」

と、このようなやり取りが2時間。

これは、第三領域の時間管理ですね。

時間管理はこちらです。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12170488962.html

いただけないなぁと思いました。

我が所属する企業ですが。。。

【人格と能力】のある人同士では、

信頼関係が生まれ、その間で発生する事象については

それぞれの解釈によって、処理されていくものなのです。

その後、上下関係が生まれ、マネジメントという上層へ

つながるはずなのですが。。。

我が所属する企業は、残念。。。

という結果でした。

もう少し、私も主体性をもって行動していくことが

必要だと感じました。

是非、変化を楽しみ、自立していきましょう。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

⇒ https://fukuyama-syo.com/j1cw

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。