夢への軌跡_依存と自立

20160804_依存と自立

【依存と自立】

おはようございます。

昨日も、千葉県内素晴らしい天気に恵まれ

大雨、豪雨、曇り、快晴、熱中症警報、雷のような

なんて、空も変化をしてくれるのでしょうと

感じた1日でした。
IMG_2595[1]
さて、今日のお題は【依存と自立】です。

人間は誕生したとき、

泣くこと以外、何もできませんね。

お母さまの愛情のある世話があってこそ

生存できるとなります。

もちろん、【依存】状態ですね。

そこから、成長し、思春期に自我の目覚めがあり、

【自立】へと成長していきます。

成人でも同じですね。

みなさん、【自立】しているとは思いますが、

こんなセリフを言ってないでしょうか?

「あいつがやってくれないから前に進まないんだよ。」

「あなたがこう考えてくれたら、丸く収まるのに。」

なんて。

いかがでしょうか?

【依存状態】の人の口癖の主語は

≪あなた≫ となります。

どちらかと言うと日本人に多い気がしますね。

≪他責の文化≫ ですよね。

これって、≪赤ちゃんと一緒≫ では、ないでしょうか?

では、逆に【自立】とは、

主語が ≪わたし≫ に変わりますよね。

「私のできることは、○○だから、あなたは?」

「私は○○するけど、あなたは?」

など。

主語が切り替わると、自分のできることに焦点が合っていますよね。

非常に困難な時、日本人の文化は、「たすけあい」「絆」と

言われて、自然現象に立ち向かっていました。

その時、「わたしは、我慢できるので、皆さんでどうぞ。」

「わたしにできることは、掃除くらいなので、掃除をさせてください。」

など。

焦点が変わると自立していますよね。

今の自分に焦点を当てて、できることに集中する。

これが、【自立】ではないでしょうか?

是非、変化を楽しみ、自立していきましょう。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。