夢への軌跡_決断と言う名の勇気

20170101_決断と言う名の勇気

 

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【決断と言う名の勇気】

 

あけましておめでとうございます。

 

今日から2017年ですね。

また、一つ年を取るみたいです。

まるで、他人事のように振舞って、

私は、年々若くなります。(年をとるです。(笑))

 

千葉県民は、ほぼほぼ成田山新勝寺へ初詣に行くのでしょうね。

周辺駐車場は、1回1000円という金額で例年運営されています。

 

我が家も毎年、初詣に行っていますが、

1月終わりころにふらっと出没する程度で、

3ヶ日は混んでいるので避けています。

 

もし仮にいかれるのであれば、午前中が穴場です。

かなり空いていますよ。

 

さて、今日のお題は、【決断と言う名の勇気】です。

 

私の事情を理解されている方も多いと思います。

外資系企業に勤務している都合上、

12月が年度末で、1月から新年度という考え方になります。

 

昨年の投稿で、<価値観の違い>から、

≪減給≫という宣告を受けました。(笑)

理由は、こちらでご確認ください。

https://fukuyama-syo.com/archives/917

 

その後、『捨てる神あれば、拾う神あり』という投稿で

自らの在り方を考え直しました。

こちらです。

https://fukuyama-syo.com/archives/934

 

ということで、我が身の振り方を考えている中で

新たに【拾う神】出現です。(笑)

 

大晦日に外資系企業から連絡がありました。

『何か、匂うぞ!』と感じた私は、

次のステップに進むことを決断しました。

 

現在、所属する企業との契約については保留のままですが、

自ら決断して、前進することにしました。

 

2017年は、私個人の人生にとっても

非常に面白い一年になりそうです。

久しぶりに、ワクワク感が出てきています。

 

転職か、独立か、そして、継続か

どちらにしても、自分の人生なので、

自分で決めないといけないですね。

 

どのような状況になろうとも、前進することにより

後悔はないと思います。

自分で決断したのですから。

20170101_ketudan

決意を新年のご挨拶といたします。

前進あるのみですね。

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。