夢への軌跡_捨てる神あれば、拾う神あり

20161220_捨てる神あれば、拾う神あり

 

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【捨てる神あれば、拾う神あり】

 

おはようございます。

先週、案内された減給の話の続きです。

 

非常に評価を低く受けた私の心情と行動は

このように現れました。

 

16日金曜日の午後に、案内され、

その場でのサインを断った私は、

今日はオフィス内で、20名弱の社員に講演を行いました。

 

その為のスライドは約30枚、

講演時間は90分という内容を準備していた矢先の出来事でした。

 

今日は社内にいたので

何らかの動きがあれば、

お呼びがかかるものと判断していました。

 

結果、「何もなし」ということであったので、

講演終了後の安堵感とその評価にうれしく、

我ながら、『やるべきことはやったな。』という感想でした。

 

はっきり言って、

評価の低いところにお世話になるつもりはなく、

給与だけのお付き合いということとなりました。

 

減給をどのように受け止めるか?

非常に精神的に疲れていた私は、

何気なく、個人アドレス宛てのメールを確認しました。

 

すると、なんと、

エージェントから、オファーが来ました。

既に登録済みのエージェントなので

希望の金額や履歴については、既知なのです。

 

まさに、【捨てる神あれば、拾う神あり】と感じました。

 

また、『人感万事塞翁が馬』とは言ったもので、

一喜一憂することなく、次のステップに進めます。

 

もちろん、減給しかなければ、受け入れますが、

その間に、次の所属を見つけるという方法に

勤しむことに気が向かっています。

 

やはり、前向きな精神が必要であり、

何事もポジティブに捉えることが必要ですね。

 

依存から自立、そして、相互依存へのレールを

しっかりと歩みたいと思います。

 

今日の画像は、昨晩のみなとみらいの夜景です。

イルミネーションがきれいですね。

20161220_minatomirai

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。