夢への軌跡_BMTSProgram_本物

【やっぱり本物に出会わないと成長はできません。BMTSProgramは株式会社Proceedが販売しています。】

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このBMTSProgramは、非常に賢いと言わざるを得ません。

そもそも、夢を追いかけるには、ツールが必要です。

何かの手を借りて、達成させようと努力しますね。

 

例えば、ごはんを食べる場合、

はしという道具を利用して食べます。

 

例えば、東京駅に行きたい場合、

電車や交通機関を利用して到着しますね。

 

現状から脱出したい場合、

何か道具を利用して、飛び立たないと

何も変わりません。

 

「会社員での収入では、やっていかれない。

何かをして、収入を得ないと 生活苦になってしまう。

子どもの教育費も大きく跳ね上がる。どうしよう。」

 

と考えているのであれば、このプログラムがお勧めです。

 

と言うのは、私自身が参加しているからお墨付きですね。

理由は、確実に収益が得られるシステムです。

  • 仲間がいます。
  • 講座があります。
  • 会って話ができます。
  • フォローアップがあります。

 

私も幾つかのノウハウプログラムを購入しましたが、

このBMTSProgramは確実に収益につながりました。

経験値です。

 

とにかく、インターネット業界には、いろいろなプログラムがあります。

簡単に稼げる、スマホで10分、タップだけ、などなど。

 

原則に従っておらず、個性に頼っている場合が多いので

途中で挫折して、路頭に迷う人も少なくありません。

 

しかし、このBMTSProgramは、

素晴らしいフォローアップがあります。

だから、継続できるのですね。

 

私の場合、継続して行くことで、徐々に月額収入が上昇しています。

 

「なにかしないと。」

「お金に困るなぁ。」

「女房に言えないなぁ」

「子供と自由な時間を楽しみたいな。」

と焦る気持ちが強い場合には、一歩を踏み出さないと前には進みません。

このBMTSProgramで簡単にプラスのお金を得ることができます。

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まずは、のぞいてみて、価値ありと判断して、

一緒に前進しましょう。

お手伝いはしますよ。私が歩いてきた軌跡はしっかりとありますから。

 

株式会社PROCEED BMTSProgram 本物ですよ。

 

 

 

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福山 紫生

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。