夢への軌跡_絶頂期はこれから・・・

20171011_絶頂期はこれから・・・

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【絶頂期はこれから・・・】

 

おはようございます。

今週も始まりましたね。(笑)

 

私は無理しない程度で頑張っています。

先週の二の舞は避けたいので。

 

利根川を見ていました。

芝刈りをしていたので風に乗って

緑の匂いがしました。

 

千葉県も広いなぁと改めて感じました。

利根川の先は、太平洋です。(笑)

 

 

ペースを掴みつつも

相手の都合で振り回されること多々あり、

ましてや、相手が動かないのか?

天性なのか?

「あまり、厳しくない社風なので。」

とは、相手に(私に)失礼ですよね。

 

という回答が届きました。

 

私の所属する企業はメーカーという立場であり、

病院に納入するには、代理店という

病院との取引権を持っている企業との

タイアップが必要です。

 

ですから、コワークをして、

客先の望むものを適正利益で納入すること

が目的となります。

 

その製品が必要か否かを確認してもらい

ある意味、病院の内情を加味しつつ

動いてもらわないといけないですね。

 

下記は駐車場での会話です。

 

『次は、いつここに来るの?』

 

「注文が発生したら」

 

『あのさぁ、だったら、代理店を変えて良い?』

 

「いやぁ、それは・・・」

 

『仕事をしてくれないんだったら、帳合変更でしょ?』

 

「・・・」

 

『やるの?やらないの?』

 

「あまり、厳しくない社風なので。」

 

という回答でした。

 

『だったら、変えるよ!

 お互いに迷惑だし、

 投資(訪問)の意味が理解できてないよね。』

 

とは、久しぶりに、マジギレの私です。(笑)

 

そこまで、キレる理由があるからこそですね。

 

ということで、今日のお題は、

【絶頂期はこれから・・・】です。

 

昨日、空いている時間を利用して

プロフェッショナルのイチローを見ていました。

 

43歳のイチローが言うには、

【絶頂期はこれから・・・】ということです。

日々の努力を惜しむことなく

投げやりな態度で練習に挑まない姿勢ですね。

 

ケガに悩まされることもあるものの

太い筋肉より、柔らかい筋肉を作ることにより

酸素の流れが良く、

痛みや毒素を早い段階で外に排出できるという

運動を絶え間なく行っています。

 

イチローのふくらはぎは、ソフトボール大でした。

 

43歳ですね。

 

パワーを求めるより、

そのパワーの源を求める

ということは、

柔らかい筋肉が必要であったようです。

日頃、あまり、テレビでインタビューには

応えないイチローも

今回は、笑顔を見せ、談笑していました。

 

彼の言い分には、ある意味、哲学があります。

 

自分を信じて前進していますね。

 

「いつかプロ野球選手として限界が来る」

ということは、勝手に言わせておけばよい。

 

それは、単なる通説であり、

イチローではないという自信です。

 

「まだまだ、これから絶頂期がこないなんて

 誰が決めたの?」

 

おっしゃる通りですね。

 

しっかりと練習をして、勝ち癖を付けて行けば

必ずや方法が見つかり、成果として発生します。

 

ぬるま湯に浸かっていると

考えなくなってしまいますね。

 

ましてや、それを上述の担当者のように

「あまり、厳しくない社風なので。」とは

やることをしっかりやっている人が

言えるセリフですね。

 

私は、イチローと同じ

『絶頂期はこれから・・・』だと

思っています。

 

何と言っても、

【永遠の35歳】ですから。

 

 

 

 

 

常に前進です。 

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

 

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。