夢への軌跡_まだまだ遠い、完全復活への道。

20240622_まだまだ遠い、完全復活への道。

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【まだまだ遠い、完全復活への道。】   

 

6月22日 土曜日です。

 

おはようございます。

 

今日は雨上がりの1日となりそうです。

梅雨入りとなった南関東ですが、

二日目は雨なしとなりそうな空模様です。

 

昨日は終日雨に遭遇したのと

義母さんの送迎はお母さん(監督)に

任せたので

キッチンのワックスがけと

2階トイレの清掃に取り掛かりました。

 

在宅でも『やること満載リスト』からの

処理を行なっています。(笑)

 

自由な時間があるということに感謝したいと

思います。

 

入院103日目 一般病棟19日目 導尿再開44日目

ということで、今日のお題は、

【まだまだ遠い、完全復活への道。】

です。

 

お母さん(監督)と私・お父さんが

面会を行うと

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)はうとうと状態でした。

 

『元気?』

と声をかけて手を握ると

「元気だよ。」

という反応でした。

 

お話をしつつも

まだまだバンコ投与による

影響が強いようです。

 

若干、反応が悪くなったところで

退室しました。

途中、ポカリアイスについては

少し食べた程度で

その後は要らないという返事であったので

中断しました。

 

経管栄養のカロリーと量が増加しているので

お腹いっぱいになりつつあり

外部からの差し入れ不要ということかもしれません。

しかし、経口摂取を開始するためには

口からの栄養を確認して

口腔マッサージを行うことが必要であると

私・お父さん的には考えています。

 

なので、

ポカリアイスでスポンジブラシを利用して

舌苔をとってあげています。

口腔ケアは必要なので

毎日の日課にしています。

 

いつでも

口から栄養が取れるように。。。

【まだまだ遠い、完全復活への道。】

とは、

自ら頑張らないと経口摂取への道は開けません。

 

私・お父さんがいくら頑張っても

自分の体を利用して

アピールしていかないと許可が下りないのです。

 

私・お父さん的には

いつでもOKと考えていますが、

医療従事者からすると

肺炎のリスクがあるということなのでしょう。

 

日々の努力が必要です。

 

毎日のモチベーションアップを考えたいと思います。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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6月22日 土曜日です。

 

USD/JPYでの介入の危険性が

なくなってきている都合上

160.0にもう少しというところまで来ています。

 

『本当にないのか?』

と疑いたくなりますが、

米国から監視リストということで

日本が挙げられているので

やりにくいのは本音でしょう。

 

週末は止まっているチャートで

学びたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。