夢への軌跡_重要な時期なのでしょう。

20240328_重要な時期なのでしょう。

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【重要な時期なのでしょう。】

 

3月28日 木曜日です。

 

朝は、なんとか持ちそうな空模様です。

曇り空ですねぇ。

 

雨に遭遇しないだけ良いと言う感覚が必要です。

 

昨日は、お母さん(監督)のメンタルリハビリと考えて

ホームセンターで

芝桜を購入してきました。

 

昨年は、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)も

一緒に購入して、

庭に植えていたのですが、

今回は夫婦二人の活動となります。

 

途中、カートを押していると

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の影が思い浮かび

私・お父さんは涙するので

トイレに逃げました。

 

良く家族3人で訪れたホームセンターとなります。

 

しばらくは、

涙無くしては活動できない状況となる

私・お父さんです。

 

辛いですねぇ。

 

入院16日目、挿管15日目

ということで、今日のお題は、

【重要な時期なのでしょう。】

です。

 

我が家では、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の延命治療は望んでいません。

 

大きな理由としては

「らしくない。」

と言うこととなるのですが、

 

小康状態から寛解と言う状況に

移りつつあると考えられます。

 

しかし、

今後、障害との格闘ともなるので

戻ってきても

新たな戦いに遭遇することとなります。

 

そのような状況下で

主治医からの病状説明があり

明るい光が見えてきているのですが、

 

なんとなく、まだ、やばい

と言う印象が抜けきれず、

最悪の事態も想定しています。

現在の病気の改善を目指していますが、

改善だけでは

我が家の登竜門はくぐれないようです。

 

完治という言葉が適切となり

一人娘にも非常に高い壁が遭遇しています。

 

それぞれのポリシーとはなるのでしょうが、

我が家のルールとなりそうです。

やはり、成人になってからの

介護は非常に重く

その領域を脱してこそ、

一人前であり、

自分の生活を営めると考えています。

 

そのような条件があり

主治医と相談することとなります。

 

だいぶ、改善傾向ではあるものの

完治までは行き届かず

これからの課題となりそうです。

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体調も

重要な時期であり、

お母さん(監督)としても受け入れるには

重要な時期となります。

 

スタンダードラインより下であれば

戻ってきて欲しくないという意見にも

賛同する私・お父さんです。

【重要な時期なのでしょう。】

とは、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の病状と

お母さん(監督)のメンタルとなります。

 

まやかし程度でのガーデニングを行っても

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)との付き合いが長いからこそ

厳しい発言が言えるお母さん(監督)となります。

 

我が家の課題となる内容です。

月末までには決断を出すことはできないでしょう。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月28日 木曜日です。

 

29日はイースターとなるので

今日が今週最後のトレードとなりそうです。

 

しっかりと見極めて

利益を得たいと考えています。

 

にゃんにゃん。。

 

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ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。