夢への軌跡_お母さん(監督)は我が家の神様でしょう。

20230716_お母さん(監督)は我が家の神様でしょう。

==============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね


人気ブログランキング

https://fukuyama-syo.com/

https://blog.with2.net/link/?1840281

==============================

 

【お母さん(監督)は我が家の神様でしょう。】

 

7月16日 日曜日です。

 

おはようございます。

猛暑日を迎えそうな日曜日の千葉となりそうです。

 

先週末は比較的、曇り空であったので

エアコンなしで過ごすことも可能で

インドアでの生活を楽しみました。

(笑)

 

まぁ、暑いものは暑いのですが、

我慢できるか否か?

それ以降の楽しみがあるか?

と言うのがテーマとなりそうです。

(笑)

と言うことで、今日のお題は

【お母さん(監督)は我が家の神様でしょう。】

です。

 

昨日、お母さん(監督)は

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に内緒で

お友達とのランチに出かけました。

 

我が家では一大事なのですが、

私・お父さんが家にいると言うことと

近隣での食事会ということで

一時を楽しんできたようです。

帰宅後の一声は

「何度も電話が来るから、帰ってきた。」

ということでした。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にしてみると

「お母さん(監督)はどこ行った?」

 

お母さん(監督)にしてみると

「自由にさせてよ!」

 

ということでしょう。

 

我が家にとっては、大きなイベントでした。

私・お父さんは画面に向かって

仕事中なので

様子が掴めず、

この案件からは逃げました。(笑)

 

出かける前の

お母さん(監督)との会話では

『追いかけられるよ!』

と伝え、

 

「まぁ、2時間程度で戻ってくるわよ。」

 

と言ってはいたものの

我が家のストーカーに潰されたようです。

 

致し方ないですねぇ。

 

父親より母親は偉大なのです。

特に、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にとっては

お母さん(監督)がいないと情緒不安定となり

追いかけ回します。

 

これも病気ですねぇ。

困ったものです。

 

お母さん(監督)の帰宅後は

二人で買い物に行き、

私・お父さんの自由な時間を作ってもらいました。

私・お父さんにしてみると

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)と二人きりでいると

落ち着かないのですよねぇ。

 

英語のレッスンで30分間

目を離すこともできません。

 

全てはお母さん(監督)の手中にあるということでしょう。

【お母さん(監督)は我が家の神様でしょう。】

とは、

本当に全てを掌握していると

言っても過言ではなさそうです。

 

逆に自由な時間がないほど

母子のつながりがつよいということでしょう。

 

母親と子供のつながりでしょうね。

にゃんにゃん。。

 

*****************************

いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2023年もほぼほぼパーフェクトとなり

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要ですねぇ。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

*****************************

 

常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

==============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

https://fukuyama-syo.com/

https://blog.with2.net/link/?1840281

==============================

 

7月16日 日曜日です。

 

備忘録は完成しました。

色々なシナリオが生まれてきます。

 

後ほど、アップします。

 

にゃんにゃん。。

 

チャンネル登録をお願いいたします。

 

****************************

20230709_EUR/USD_相場環境_動画解説

https://youtu.be/0MrrxE8TDHI

*****************************

 

*****************************

20230709_updated

夢への軌跡_FX_8通貨_相場環境認識・備忘録_20230709

https://fukuyama-syo.com/archives/30211

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CBGT6NZK

*****************************

 

共に学びましょう。

1000円でこの内容はお得です。(笑)

https://www.gogojungle.co.jp/tools/ebooks/42328

 

【い・ろ・は・組(168)_2】

登録URL:

https://www.gogojungle.co.jp/tools/rooms/33239

 

にゃんにゃん。。

 

==============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

https://fukuyama-syo.com/

https://blog.with2.net/link/?1840281

==============================

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

――――――――――――――――

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。