夢への軌跡_かかりつけ医も見放した。。。

20240229_かかりつけ医も見放した。。。

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【かかりつけ医も見放した。。。】

 

2月29日 木曜日です。

 

おはようございます。

 

曇り空で迎えた木曜日の朝の千葉です。

日差しがない分

昨日に比較すると寒そうです。

 

とはいうものの

昨日は強風であり

体感温度はびっくりするほど

低かったのではないか?

と思います。

 

さらに、悩まされる花粉ですねぇ。

 

マスクは必須の季節となりました。

ということで、今日のお題は

【かかりつけ医も見放した。。。】

です。

 

ここのところ、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)ネタばかり

となりますが、

今回は印籠を渡されたようです。

 

毎週水曜日に、お母さん(監督)が

電話でかかりつけ医と診療や投薬相談を行うのですが、

権威のある医師は、

自分で手に追えないと思うと

手放すことが最優先のようです。

 

今回の小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の症状は

10年以上お世話になった

小児科から脳神経外科へ引き継がれましたが、

とうとう、精神科対応になってしまったようです。

そして、

そこの施設では精神科がないということで

別の施設への紹介状を書くから

最寄りの施設へ相談してほしいという

内容のようでした。

 

診察といえども

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が診察と検査を

嫌がるので

そのかかりつけ医とはほぼほぼ面談できず、

挙げ句の果てに

紹介状となりました。

一難去って、また一難ですねぇ。

とは、

私・お父さんの心のうちです。

 

まぁ、遠い施設へ

長いこと通っていたのと

権威のある医師故に話が

一方通行であり

息苦しかったので

良いタイミングとなりました。

しかし、受け入れ先があるのか?

が今後のテーマとなりそうです。

 

まぁ、自分のことを

「先生が・・・」

ということに気に入らなかったので

我が家の新たな門出となりそうです。

 

盲目投薬によって

患者が苦しんでいることに

親身になれず、

紹介状で誤魔化す

という逃げ口上に

呆れましたが、

医師なんてそんなもんでしょう。

 

結局、医療は統計学ですから。。。

【かかりつけ医も見放した。。。】

とは、

12年通った医師も手に追えないようです。

 

大学病院や越境して診察を受けていましたが、

そろそろ手仕舞いの時期のようです。

 

新たに前向きに考えたいと思います。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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2月29日 木曜日です。

 

昨日のRBNZの政策金利発表で

大きく動いたNZD/JPYですね。

 

目線は下を継続します。

 

そして、午前中だけで70 pipsの

利確となったことに

久しぶりの大勝利となり

俄然、しっかりとチャートに向き合っています。(笑) 

 

2月月末最終日となるので

負けなしトレードの構築と

根拠のあるトレードを行いたいと思います。

 

そして、

利確は正義です。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。