夢への軌跡_コンプライアンスという言葉

20160811_【コンプライアンス】という言葉

【コンプライアンス】という言葉

おはようございます。

今朝はだいぶ、暑さも和らぎ、

過ごしやすくなってきましたね。

関東だけでしょうか?

それでも、最高気温は30度です。

感覚がマヒしているのかもしれません。(笑)
20160811_compliance

さて、今日のお題は、【コンプライアンス】という言葉です。

この頃、良く理解していない方々が、

【コンプライアンス】という言葉を利用していますね。

本当に理解しているのでしょうか?

私も社内で耳にするので調べてみました。

辞書によると、

【コンプライアンス】という言葉は、

文字通りであれば、法令順守となり、

弁護士さんが学習する、六法を守りましょう。

という意味合いですね。

しかしながら、拡大解釈をしている企業も多く

社内ルールの順守を含んでいることもあります。

この社内ルールとは、

企業内で様々なルールが適用されている場合も

少なくありません。

それ故に、企業では定義づけが必要となります。

その定義が確立していないにも関わらず、

【コンプライアンス違反】とは決して、

口にしてはいけませんね。

特に管理職の方は。

企業によっては、しっかりと定義づけされており、

社内のみならず、

社外に向けて発信している場合もあります。

「顧客の満足を追求する。」という定義を

含んでいる企業もあるようです。

社外に向けて、【コンプライアンス】として

「顧客に向けて安心安全な製品を供給すること」

とうたっていれば、社内ルールよりも上位の階層に来るので

社外に対しての【コンプライアンス】が重要視されますね。

もちろん、そこまでうたっている企業は少ないとは思います。

世の管理職の方々はしっかりと学ぶ必要がありますね。

何かにつけて、社内で、もしくは、チーム内で

【コンプライアンス】という言葉を口にする人は

社内での定義を学んでほしいと思います。

定義がないにも関わらず、口にすると墓穴を掘りますね。

更に、社員、チームメンバーを委縮させ、

社内環境が悪化します。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。