夢への軌跡_社会の鏡は私?

20160924_社会の鏡はお父さん?

【社会の鏡はお父さん?】

おはようございます。
さぁ、今日は土曜日です。
私は今日も仕事です。(笑)
今日のお仕事場は盛岡です。
余談ですが、岩手県は大きいです。
全国2位の面積を有しています。
四国とほぼ同じ面積です。

しかし、四国4県と比較して
人口は3分の1です。
ゆったりとした県ですね。

さて、今日のお題は【社会の鏡はお父さん?】です。
お父さんである私は、色々なことで苦労しています。(笑)

先日、投稿した宿題や子供のメンタルや、
通常のお仕事での宿題や営業などなど。
本当に、たくさんのTODOが盛りだくさんです。

今日のように出張していると、
毎晩、娘に電話を入れます。
『どした?元気か?』
すると、「うん、元気だよ。」と
大人しげに回答が戻ってきました。
20160924_onnanokonaku
すると、隣で我が嫁(お母さん)が
<いつまでたっても明日の試験の英単語ができないの。
もう、いつまでやっているのよ。>
と罵声が飛んできました。
→ 我が家の恥なのでこの辺で終わりにします。

『どした? できないの?』と娘に確認すると、
「だって、わかんないんだもん。」とのこと。
『ほいじゃぁ、早く寝なよ。明日朝、やれば良いじゃん。
無駄な時間だよ。』
「うん。」
『前回、満点だったから、きっとできるよ。頑張って。』
「うん。」
すると、我が嫁(お母さん)が
<%$#&”#$%’=-+*%&$#+*$%&>
と訳のわからんことを言っているので
『頑張ってね。ほいじゃぁ、明日ね。きっとできるようになるよ。』
と言って、電話を切りました。

言わずもがな、我が嫁(お母さん)は罵声を娘に浴びせていました。(悲)

そこで、考えたのが【社会の鏡】です。
自分がどう思おうと、
娘はお父さんから『きっとできる!』と
暗示をかけられているのです。
言われた娘は、「うん。」と言ってはいましたが、
「私はできるんだ。」と暗示をかけられているのです。
「お父さんから信じられているんだ。」
と誤解かもしれない暗示が届いているのです。

昨日の投稿では、私の実母に
『いつからだって勉強は始められるよ。
刺激があるのなら、始めるべきだよ。』
と言い続けたから変化したのだと思います。

これが、【社会の鏡】ですね。

ある意味、社会貢献だと思っています。
誰でもやる気になれば何でもできます。

【やってやれないことはない。
やらずにできるわけがない。】

そのために、周りが応援してあげれば、
その人にも変化が起きるはずです。

因みに
【暗示】を英訳すると「suggestion」、
「suggestion」は和訳すると【提案】となります。
ですから、【提案は暗示の始まりなのです】ね。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。