夢への軌跡_名古屋で外国人に遭遇

20161024_名古屋で外国人に遭遇

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【名古屋で外国人に遭遇】

おはようございます。

10月も最後の週の始まりですね。
今朝は自宅です。
これから、また、北上(ほくじょう)します。

名古屋には新幹線で移動しましたが、
快適ですね。
人が多いのは難ですが、
これだけの本数があれば、乗り過ごしても大丈夫です。

是非、東北新幹線もこの本数があれば、
私も車で行くことはなくなるでしょうね。

山手線と同じくらいの時間間隔で出発していましたから、
電光掲示板がなかったら、間違いなく戸惑います。(笑)

外国の方も多く、ホームはごった返していました。

さて、今日のお題は、
【名古屋で外国人に遭遇】です。

今回、宿泊したホテルは、
かの有名なア〇ホテル丸の内でした。

最上階に大浴場を完備しており、
部屋は9㎡と若干小さめなのですが、
金額は土日なので12,000円/1泊という高値でした。

大浴場を出た私は、エレベーターホールで
なにやら、騒いでいる声が聞こえてきました。
たまたま、そのエレベーターホールには
従業員さんと若い女性2名がいました。

そして、恐らく、ヨーロッパ系のおば様が一人。
おば様は大浴場を視察に来られたようでした。

おば様は、一生懸命従業員の方と女性二人に話しかけて
何やら、問い合わせている様子でした。

聞き耳を立てていると
”Can I wear Japanese Kimono and take a bath?”
従業員さんと女性は聞く耳持たずの状況で
次第に、エスカレートしてきたおば様は
早口になってきました。

20161024_daiyokujo

要は、「私は浴衣をきて、大浴場に入っても良いのか?」
という内容なのですが、
従業員さんも女性2人も、無視でした。

『無視はないでしょ?』
と思いつつ、拙い英語でコミュニケーションを
僭越ながら、若干は話せます。

”Yes, you can do it.
You change clothes in your room and go up here.
You can take a bath. But you cannot go to the first floor.
It is a public space. ”

書いてみると、本当に拙い中学英語なのですが、
”Thank you. I am in relief. I can enjoy taking a bath.”
と、おば様がお礼を言っていただけました。

私は途中階で降りて、かっこよく、
”Enjoy!”
と去りました。 私は浴衣姿でした。(笑)

日本人は、英語を少なくとも6年も勉強しているのですよね。
中学高校と6年間です。
でも、話せない人が多いのが難です。

オリンピック効果により、今後
外国人の方とのコミュニケーションの機会が
増えてくると思います。

相手の言っていることがわからないからと言って
無視はいけないと思います。
寂しい思いをさせてしまっては、まずいです。

私達日本人が海外に行くと
結構、手を差し伸べてくれる通りすがりの外国人は
以外と多いですね。

何とか、身振り手振りでもコミュニケーションをとって
問題解決の糸口を一緒に探してあげることくらいは
従業員さんでもできたはずです。

逃げないで正面からぶつかってみることは
全く、恥ずかしいことではないですね。

『聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥』
とも言いますから。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。