夢への軌跡_どんな状況でも何かを得る

20161017_どんな状況でも何かを得る

【どんな状況でも何かを得る】

おはようございます。

週の始まり、月曜日ですね。
土日は、盛岡で展示会だったのですが、
非常に暇な二日間となりました。

要員は二人、私と同僚でした。
展示ブースに居ても
「誰もやってこない」という状況であったので
『どうしようか?』と
考えていたところ、
このままであれば、立地条件が原因で
無駄な時間を過ごすことになった私たちは
相談しました。

今日のお題は、【どんな状況でも何かを得る】です。
恐らく、ネガティブな発想をしていれば、
「仕方ないね。場所が悪い。人がこない」
という理由により、
無駄な時間を過ごすことになったでしょう。

ポジティブな発想として、
『会場内には人がいるはず。
追いかけて話をしてこよう。』
ということで、一人が留守番で
もう一人が動き出すという選択をしました。

主要な顧客との面談は、重要です。
なぜなら、訪問した際、不在の可能性もあり、
内容が伴わない面談の場合もあるからです。

信頼関係の計算式は
面談回数 × 面談内容
によって、上昇すると考えています。

従い、今回の面談内容としては
『私はここにいる』という
プラスの要素が低いのですが、
存在意義をアピールすることしかできません。

しかし、面談回数としては、
必ず、プラスになるので会うこと自体が
信頼関係に追加されていきます。

と考えた私たちは、
主要顧客を探して、面談を行いました。
基本的には、
『こんにちは、製品に問題ありませんか?
説明会が必要であれば、ご連絡ください。』
というありきたりの内容ではあります。

日頃、面談できない方々もいるため
『いつかは実がなる』という
考えで動きました。

常にプラスで、ポジティブで
【何かを得よう】とする気持ちは
いつかは、実を結びますね。
20161017_nanikawoeru

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。