夢への軌跡_お母さんとの会話

20171016_お母さんとの会話

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【お母さんとの会話】

 

おはようございます。

さぁ、月曜日が始まりました。

 

何はともあれ、頑張っていきましょう。

 

既に【糖質制限】を継続している

私・福山 紫生(Syo Fukuyama)をご存知の

方も多いと思いますが、

「お前、本当か?」

という声もチラホラ聞こえてきているので

事実をお見せすることとしました。

 

私・福山 紫生(Syo Fukuyama)は

2017年で半世紀を生きております。(笑)

 

そうです。50年です。(笑)

 

しかし、気持ちも体も

『永遠の35歳』と謳っています。

 

理由は、色々あるのですが、

まずは、【糖質制限】後の体重について

事実をお知らせしますね。

 

添付のビデオをご確認ください。

当時は78kg、今は63kgということで

(一時は62kgを割る勢いでしたが、)

私の理想の体型を維持できているので

アップすることとしました。

 

日本人には、【糖質制限】は必要ですね。

 

ラーメンばかり食べていると

糖質、カロリー共にオーバーとなります。

 

私も一時的に東京のラーメン巡りをしました。

当時、広尾にあった

≪香月(かづき)≫という店がお気に入りでしたが、

今は、広尾にはないようです。

 

どこかに移ったのかなぁとも思いますが、

あの透き通るスープとチャーシュー、麺との

コラボが忘れられません。

 

とは言っても、私は、こんにゃく麺でないと

食べられません。(笑)

 

糖質セイゲニストには、ラーメンの麺が

大敵ですね。

 

麺なしラーメンであれば、いくらでも

食べられます。

 

理由は、カロリーは高く

糖質は低くとなりますので。

(笑)

 

「ラーメンを食べる意味ないじゃん」

 

おっしゃる通りです。(笑)

 

糖質セイゲニストになる前には良く通った

「幸楽苑」の中華そば、299円は

最も、食する回数が多かった気がします。

(笑)

 

会津喜多方ラーメンですね。

 

 

さて、今日のお題は、

【お母さんとの会話】です。

 

年齢も近い、我が嫁であるお母さんと

2人で話をする機会はそれほど多くはありません。

 

なぜなら、小粒ちゃんがいるからです。

 

特にお金の話をする際には十分に気を付けています。

 

お母さんは、小粒ちゃんの出産以降、

専業主婦となり、小粒ちゃんのケアを行っています。

 

生活、勉強、お世話も含めて

お母さんがいなくなったら、我が家の一大事です。

(笑)

 

そのような状況で、小粒ちゃんがお風呂に。

暇を持て余したお母さんから、

 

「お父さん、FXって儲かるの?」

 

『感情が入らなければ、いけるよ。』

 

「で、お父さんは?」

 

『9月に感情が入ったので、とんとんかなぁ?』

 

「そうか、とんとんなんだ。

 私の株は、盛り上がっているよ。」

 

『へぇ、そうなんだ。

 元本割れはないの?』

 

「お父さん、痛いとこ、突いてくるね。

 ちょい、元本割れかなぁ。」

 

『ほいじゃぁ、収益にならないね。

 私は、わからないから、そちらは任せるよ。』

 

「で、お父さんは? どうなの?」

 

『月利10%の複利で回せば、4年後に億だね。』

 

「え~~? マジ?」

 

『そうでしょ? じゃなきゃ、やらないよ。

 こんな慎重派の私でしょ?』

 

「そうだね。」

 

『株式はわからないから、お任せします。

 FXについては、こちらでやります。』

 

「そうしましょう。」

 

ということで、5年後に早期定年と

億の財産を約束してしまいました。

(笑)

 

まぁ、人生、楽しんでなんぼですね。

 

永遠の35歳は、前進します。

 

 

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

―――――――――――――――

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

 

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【糖質制限】

あなたも食事で変わることができます。

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私も何度か参加している

【ユダヤ人の大富豪の教え】を

お伝えします。

 

これは、目からウロコです。

日本の教育からは完全に漏れています。

 

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申し込んだ時には参加日時をご連絡くださいね。

しっかりとサポートします。

――――――――――――――――

 

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。