夢への軌跡_母親の重責なのでしょうか?

20240219_母親の重責なのでしょうか?

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【母親の重責なのでしょうか?】

 

2月19日 月曜日です。

 

おはようございます。

 

今日もほぼ快晴という

南関東です。

 

最高気温は19℃となり、

過ごしやすい天候となります。

 

週始めなので

何かをスタートしたいという気持ちはありますが、

我が家の家庭環境からは

難しいようです。

 

全てを母親の責任と捉えている

お母さん(監督)にしてみると

私・お父さんも針の筵にいるような状況です。

 

まぁ、時間が解決することを願いつつ

我が家の状況を確認しています。

ということで、今日のお題は

【母親の重責なのでしょうか?】

です。

 

我が家のお母さん(監督)の

責任を考えると

非常に大きいなぁとは思いますが、

 

母親だけの責任ではないのが

私・お父さんの個人的な意見です。

 

我が家の小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

体調が思わしくなく

持病もあり

生誕から病気との戦いの日々でした。

 

大学卒業後、

イレギュラーな症状に遭遇して

精神的に普通ではない状況に

遭遇している現在です。

それを、

お母さん(監督)は自分の責任と

一人で背負っている状況を

垣間見ることができ、

 

あえて、ふざけた内容にて

話しかける私・お父さんです。

 

すると、

「今は、やめて!」

というサインが来ることもあり

次女ミー(ミータ)と遊びつつ

気を紛らわしています。

 

それが、私・お父さんです。(笑)

 

少しは明るい話題を提供しつつ

次女ミー(ミータ)をからかいつつ

明るい雰囲気を醸し出したい

私・お父さんですが、

なかなか上手に進展はできません。

まぁ、我が家の中心は

お母さん(監督)となるので

お母さん(監督)の指示に従うことが最善であると

考えています。

 

私・お父さんの仕事を

しっかりと行いつつ

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)を

見守りたいと思います。

 

次女ミー(ミータ)は

構ってもらいたいので

私・お父さんの椅子を陣取り

そして、

遊んでもらいたい意識から

噛みついてもきます。

 

そのような

次女ミー(ミータ)の対応に涙しつつ

我が家の夜は過ぎていきます。

【母親の重責なのでしょうか?】

とは、

母親の意識の問題かもしれないですね。

 

出産が大きな責任であれば

それはそれで

既に終わっていると判断可能です。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の強情さは

私・お父さんの血縁であると思うので

大きな批判は行わず、

静観することに意義があると考えています。

 

私・お父さんは逃げているかもしれません。

 

が、まともに取り組んでも

感情優先となるので

何も言わずに見守ることが

私・お父さんの我が家での仕事となりそうです。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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2月19日 月曜日です。

 

今日の米国市場はお休みです。

チャートに張り付いていられるようであれば、

トレードも可能でしょう。

 

しっかりと睨めっこを行いたいと考えています。

 

東京市場はどちらへ動くのでしょうか?

良く見ていきたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。