夢への軌跡_自分の症状に合うクスリは必要です。

20240729_自分の症状に合うクスリは必要です。

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【自分の症状に合うクスリは必要です。】

 

7月29日 月曜日です。

 

おはようございます。

 

熱中症予防で家にこもっていたら

体重が気になるラインを超えていきました。(笑)

 

改めて、運動量を増加して

体重を減らすこととなりそうです。

 

この夏の暑さに

反する行為となるので

自分の体を確認しつつ

今週を過ごしたいと思います。

 

この頃の次女ミー(ミータ)は

9時を境に鳴き出します。

「冷房つけてヨォ。」

というコメントです。

 

その後、冷房をつけると

お母さん(監督)の就寝時間まで

消すことはできません。

 

そして、次女ミー(ミータ)はソファでゴロンです。

贅沢なネコです。

 

入院140日目 出戻りICU 31日目 導尿再開24日目

ということで、今日のお題は、

【自分の症状に合うクスリは必要です。】

です。

 

昨日の面会では

非常に元気良く

なんでも話してもらえました。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にしてみると

入院以降、今までになく

体調は良いようです。

 

発声も少量ですが、可能となり

読唇術は必要ないほどとなりました。

日曜日にもかかわらず、

洗髪してもらい

看護師さんとの会話を楽しみ

そろそろ、一般病棟へ逃げ出すことが可能かも?

と考えられる展開です。

 

しかし、急がば回れという諺があり

過去何度となく頓挫した経緯があるので

内服の調整を行いつつ

点滴投与からの鎮静剤離脱と経口摂取を行えるように

スケジュールを考えたいところです。

ここまで元気であるのなら、

主治医も月曜日に考えることでしょう。

 

集中治療室からの退室となります。

そのためには、

どうしても鎮静剤を抜かなければなりません。

 

そのカバーを内服で行っているので

これが適合しているようであれば、

点滴鎮静薬の停止から

集中治療室から一般病棟へ転棟となります。

 

ある意味、光ですよねぇ。

リハビリをしっかりと継続して

なんとか

「おうちに帰ろう計画」を遂行できるように

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に

頑張ってもらいたいところです。

【自分の症状に合うクスリは必要です。】

とは、

10分程度の面会ですが、

だいぶ、調整が行えているように感じています。

 

前日より、少しでも改善していることが

喜ばしいことであり

お母さん(監督)と私・お父さんの面会の意義とも

感じています。

 

急がなくても良いけど、

しっかりと前進してもらいたいと考えています。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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7月29日 月曜日です。

 

備忘録からわかることは

短期トレードで攻めていくか

ノートレードで静観するか

だということです。

 

今週は月末フローもあり

無理してエントリーしても

即座に手仕舞いがやってきそうです。

 

しっかりとチャートが見られるのであれば

前向きにトレードを行いたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。