夢への軌跡_主治医との面談で明らかに。。。

20240515_主治医との面談で明らかに。。。

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【主治医との面談で明らかに。。。】

 

5月15日 水曜日です。

 

今日も曇り空で

最高気温は24℃の予想です。

 

比較的過ごしやすいのかもしれないですね。

 

今日の私・お父さんのスケジュールは

畑に生える木の伐採作業となります。

 

これも運命ですねぇ。

 

農家の娘を嫁にもらったので

人生の中で、知らないことを多く経験できています。

 

さて、今日はどこまでできるか?

体力勝負の一日となりそうです。

 

入院65日目 抜管27日目 導尿再開7日目

ということで、今日のお題は、

【主治医との面談で明らかに。。。】

です。

 

投薬に関しては

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体調に関連して

色々と勉強してきました。 

 

しかし、現在の内服は6種となり

かなり多いということとなります。

 

どのように減量していくのか?

がポイントとなりますが、

先週後半から動き出した

対象となる薬剤はドンピシャで

症状緩和で当たっているようです。

 

しかし、

その薬剤が他の副作用の原因とも考えられ

最優先で選択されたようです。

 

結果は、まだはっきりとはしていませんが、

症状緩和のために元に戻してもらうこととなりました。

あまりに多いと

その反応もあるので

途中経過を判断できる程度まで

戻してもらうこととなりました。

 

この状況となると

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

また、改めて口数の多い

文句の多い患者となりそうです。

しかし、生きることを選択するのであれば

文句の多い方がウェルカムとなります。

 

我が家では

お母さん(監督)と私・お父さんで

常に考えて主治医と看護師に伝えています。

【主治医との面談で明らかに。。。】

とは、

この薬剤が白血球数を多くしている可能性が

高かったということでした。

 

白血球については、

以前に主治医より説明されたとは思いますが、

容体を常に確認している

患者家族としては

忘れ去られてしまいます。

 

「結果、悪さをしていないのではないか?」

ということであったので

他の薬剤を減少することとなりそうです。

 

候補となる薬剤については

情報をしっかりと伝えました。

 

「生きる」という選択肢と

「QOL向上」という選択肢が

相反している可能性も考えさせられました。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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5月15日 水曜日です。

 

昨日のPPI発表で

下ヒゲを大きく発生させたEUR/USDは

陽線を描いて

1.0812を超えて1.0825を高値として

更新してきました。

 

ということは、

4時間足サイクルでは

RT(ライトトランスレーション)となり

イメージが少し異なってきました。

 

改めてチャートを確認したいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。