夢への軌跡_反応がないと面会の意味は?

20240514_反応がないと面会の意味は?

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【反応がないと面会の意味は?】

 

5月14日 火曜日です。

 

今日は曇り空で

終日を過ごせる良いお天気です。

 

個人的には雨なしが嬉しいですね。

 

昨日は、義父さんのガソリンチェーンソーの復活を考えて

色々と作業をしていました。

 

分解と故障箇所をしっかりと考えて

なるべく深入りしないように

ちょっとずつ分解していきました。

 

試行錯誤を行なっていましたが、

結果、エンジンがかかり

問題箇所はエアーフィルターということで

判明しました。

 

これからは義母さんの

垣根の剪定を行うこととなりそうです。

ほぼほぼ、伐採になりますけど。。。(笑)

 

入院64日目 抜管26日目 導尿再開6日目

ということで、今日のお題は、

【反応がないと面会の意味は?】

です。

 

毎日の面会の目的は

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の容体改善となります。

 

お母さん(監督)と私・お父さんは

以前から

「この薬は当たっているから外さないで。」

と看護師経由で

伝えていましたが、

 

なかなか主治医には伝わらず、

コミュニケーション不足となります。

データで確認したい主治医の気持ちもわかりますが、

その間、辛い思いをさせることを容認するわけには

親としては納得できませんね。

 

ほぼほぼ、毎週月曜日に病状説明ということとなり

昨日も構えていましたが、

データとしてエビデンスを取りたいという

主治医の意向でしょう。

 

昨日の面会後に

検査があり、その後の判断となったようです。

 

ということは、

本日、火曜日に病状説明があるはずです。

 

看護師には伝えていますが、

なかなか、前には進みません。

外してはいけない薬剤を検討するのは

納得ができますが、

『もう少し迅速な対応が必要ではないのか?』

とも考えることができる展開です。

 

あまり、ゆっくりとしていると

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体力が衰弱してくるので

迅速に考えたいと思います。

 

医療従事者も家族の経験をしっかりと

汲み取って治療にあたってほしいと思います。

【反応がないと面会の意味は?】

とは、

毎日欠かさずに面会を行なっている家族の思いです。

 

改善してもらわないといけないのです。

ここまできたら

完全復活を目指して投薬内容の変更を行うべきです。

 

という、親の気持ちとはウラハラに

処方箋は、変更されていきます。

 

主治医との信頼関係になりますが、

早めの対応を行うべき

と考える親心です。

 

先週の木曜日には元気であったのですから。。。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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5月14日 火曜日です。

 

昨晩の米国市場でのUSD/JPY急騰は

びっくりしました。

 

EUR/USDでも上昇していたところで米ドル安と

思っていたら、

一気に米ドル高へ転換しました。

 

何があるかわからない月曜日だなぁと

感じました。

 

今後は米ドル高での動きを追いかけたいと考えています。

 

にゃんにゃん。。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。