夢への軌跡_感謝の言葉は必要ですね。。。

20240209_感謝の言葉は必要ですね。。。

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【感謝の言葉は必要ですね。。。】

 

2月9日 金曜日です。

 

おはようございます。

 

週末ですね。

寒さも緩和されて暖かい3連休を迎えそうな

金曜日です。

 

昨日は、お母さん(監督)一人での買い物となり

私・お父さんと小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が

留守番となりました。

 

ほぼほぼ、寝たきりの小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の

面倒を行うのがお母さん(監督)であり、

私・お父さんは見守るだけとなります。

 

自宅に病人がいると

しんどいですね。

 

リフレッシュの時間も無くなります。

ということで、今日のお題は

【感謝の言葉は必要ですね。。。】

です。

 

昨年1月より、

自宅での仕事を始めている私・お父さんは

会社員ではありません。

 

自由に自宅での時間を過ごしています。

 

昨年秋から、体調不良が続く

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の面倒は

ほぼほぼ、お母さん(監督)の仕事となるのですが、

 

私・お父さんとしても

我が娘のわがままを耳にして

手助けを行っています。

しかし、診察を嫌い

検査も行わないという

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の主張には

両親ともども

だいぶ疲れてきています。

 

一人で活動させることができない

病気なので

ほぼほぼ、自宅で過ごしています。

昨日、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

外出しないということで

変わらず、家でゴロン状態となり

様子を伺っていました。

 

診察と検査を受けるように促しましたが、

親子喧嘩の後は、

大泣きとなり、

『本当に成人か?』

という目を疑う言動に走ります。

 

メンタル病でしょうねぇ。

そのような時に

お母さん(監督)は一人で買い物に行き

食材以外の衣料品の調達を行い

若干のリフレッシュを行ってきました。

 

帰宅後、

「お父さんが仕事を辞めてもらってよかったわ。」

という労いの言葉をいただき、

 

『仕事はしてるけど、会社員ではないだけだけどね。』

夫婦の会話が和みました。

お互いに感謝はしているものの

あまり口には出しませんが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にかかりきりの

時間が多く

 

我が家ではホッと生き抜く暇もない

という言葉が適切でしょう。

 

お互いに労いの言葉を掛け合い

癒しの時間を得たひとときとなりました。

【感謝の言葉は必要ですね。。。】

とは、

お互いを知り尽くした関係であっても

言葉でしっかりと伝えることは必要でしょう。

 

25年も一緒にいると

言葉にしないこともありますが、

感謝の意を言葉で表すということは大切ですね。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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2月9日 金曜日です。

 

USD/JPYは高値更新となり

149.0を超えてきました。

 

内田副総裁の発言が翻訳されて

海外へリリースされたので

一気に149.5まで吹き上げた

USD/JPYでした。

 

結局、149.0を超えてから

20 pipsをいただき、

早々に逃げました。

 

149.8辺りには大量に売り注文が

待っているようです。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。