夢への軌跡_田舎には運転免許が必要ですねぇ。

20231216_田舎には運転免許が必要ですねぇ。

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【田舎には運転免許が必要ですねぇ。】

 

12月16日 土曜日です。

 

おはようございます。

 

昨日は寒い中

実家の整理に訪問してきました。

 

ちょっと、田舎なんですよねぇ。

 

特別、何をするというわけではないのですが、

しっかりとゴミを持ち帰ってきました。(笑)

 

今日は、チャートとのにらめっこを

行う予定です。

ということで、今日のお題は、

【田舎には運転免許が必要ですねぇ。】

です。

 

かなり久しぶりに実家への訪問となり

水道、電気のチェックを行ってきました。

 

物置を開けると

ゴミと考えられる

30年異常前に亡くなった犬のリードが出てきました。

 

物持ちが良いのはわかるのですが、

亡くなったら、捨てても良いのではないかなぁ

と考える節がありました。

お母さん(監督)と小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が

タンスを確認すると

昔のお金や写真が出てきて

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の小さい頃の写真が

綺麗なままで発見されました。

 

我が両親にしてみると

孫の写真はあまり興味なかったのかもしれないですねぇ。

 

持ち帰りました。(笑)

そのような整理をしつつ

往復の運転で気がついたことは

『この辺では、車がないと生活ができない。』

ということです。

 

「ちょっと買い物」

という気持ちで

10kmですから

歩くと2時間ですねぇ。

 

とても荷物を持って帰ることはできません。

それに比較をすると

我が家周辺は歩いて3分で

ドラッグストア、歩いて10分でショッピングモール

となり、

この生活の便利さには

勝てません。

 

途中、年配の方々の運転にも遭遇して

高齢者マークをつけていましたが、

みる限り

危ないんじゃないの?

と感じるほどでした。

 

でも車無くして

生活ができないというのは本当のところですねぇ。

 

これでは、

免許返還は程遠いと思います。

【田舎には運転免許が必要ですねぇ。】

とは、

クルマにはほぼほぼ高齢者マークがついているのです。

 

そして、軽自動車ばかりなのです。

 

そして、あちらこちらにキズのある車ばかりです。

車がないと生活できない

という環境にいるので致し方ありません。

 

少子化という現象が

このようなところにもうかがい知ることができました。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2023年もほぼほぼパーフェクトとなり

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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12月16日 土曜日です。

 

FOMC以降で

USD/JPYは落ち着いているようです。

 

急激に下降して

戻ってきてレンジという状況だと考えています。

 

今日もしっかりと

にらめっこで確認していきたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。