夢への軌跡_原則と価値観の違い

20160817_原則と価値観の違い

【原則と価値観の違い】

おはようございます。

関東は台風一過ですね。

水がめが潤ったことを切に祈ります。

しかし、当分は、『水・ピンチ』の看板を見ることとなるでしょうね。

さて、本日のお題は【原則と価値観の違い】についてです。

昨日の投稿で【原則】を伝えましたが、

【価値観】との違いを認識したいと考えて

どう違うのかを伝えたいと思います。

【原則】には3つの条件があり、

不変、自然、自明の理と伝えました。

自明の理とは、説明不要の内容という意味で捉えています。

では、【価値観】とは、変化しますね。

私の仕事の【価値観】では、収入、評価、家族という

3つの【価値観】が並びました。
⇒ こちらです。

独身の頃は、仕事の【価値観】として、

夢実現、修行、経験と考えていたような気がします。

このように時代が変われば、【価値観】も変化しますね。

【価値観】は、社会通念や文化に影響されて変化します。

ここが、【原則】との違いですよね。

その【価値観】が【原則】と重なる部分が大きくなると

【効果性】が発揮されます。

効果が大きくなれば、影響力も大きくなります。

従い、【原則】に従っていくことが最善と考えることができます。

例えば、重力という【原則】に逆らっても、

落ちるときには、落ちますよね。

翼がない、エンジンがない状態で、高い所から落ちたら

間違いなく、地面にぶつかってしまうのです。

それと同じなので、【原則】に従い、

自分の【価値観】を合わせれば、【効果性】が発揮できるという

図式になります。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

――――――――――――――――

やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

⇒ https://fukuyama-syo.com/j1cw

――――――――――――――――

今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

*****************************************

Facebookもやっています。

お気軽に友達リクエストをお待ちしております。

https://www.facebook.com/fukuyamashow

ホームページ準備中です。

夢への軌跡

ブログランキングを始めました。

よろしければ、応援をお願いいたします。

https://fukuyama-syo.com/5mrd

*****************************************

福山 紫生(Syo Fukuyama)20160730_balance

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。