夢への軌跡_原則とは

20160816_原則とは

【原則とは】

おはようございます。

今日は火曜日ですね。

お盆休みを終了し、お父さんも現実に戻りますね。

家族サービスから、解放されて、仕事の方が良いと

考えているお父さんはどのくらいいるのでしょうか?

私もその一人ですけど。。。

さて、本日のお題は 【原則とは】 についてです。

多くの人が考える 【原則】 って何でしょうか?
20160816_gensoku

生活の上での万有引力、ビジネス構築の上での顧客満足、

企業内でのコミュニケーション、などなど。

色々な【原則】が思い当たると思います。

基本的にその【原則】に逆らっても、

目的は達成できないのは

理解してもらえると思います。

その【原則】の条件について、3つ記します。

不変である。

自然である。

自明の理である。

引力にしても、重力にしても、日々変わらず、

影響を与えています。

明日、無くなるというものではありませんね。

また、自然である内容については、

天候が大きく関与します。

自然に逆らうことはできませんので、

受け入れざるを得ないと考えることですね。

雨、雪、雹など、

受け入れなければいけない内容となりますね。

何事も理解せずして、見るだけで判明することがあります。

例えば、≪五十日、月末、金曜日≫などの日では、

渋滞必須であるが故に、

早く出発し、時間に遅れないようにする

と言うこととなります。

何事も状況判断で、

これは、【原則】であると理解できますね。

それに、逆らうことは意味のないことです。

『無駄な労力、休むに似たり』と考えます。

逆らえない事象にこだわっても仕方ないわけです。

ビジネス構築について、

『顧客満足』を抜きにして語れないのも一つです。

逆は正になるか?と問いかけ、

『顧客満足』 なくして、ビジネスの成功はあるのか?

と問いかけてみるのも方法ですね。

迷ったときに、 『それは、原則?』 と

問いかけると進む道が開けると思います。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。