夢への軌跡_糖質制限33_1年ぶりのチョコレート

20161206_糖質制限33_1年ぶりのチョコレート

 

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【糖質制限32_1年ぶりのチョコレート】

 

おはようございます。

火曜日ですね。

 

昨晩、本当に久しぶりに甘いチョコレートを食べました。

私の場合、LAWSONで販売している「ブランパン」というのが

主食なのですが、そのお隣には、チョコレートブランパンが棚割されています。

 

『いつか、食べよう!』と思いつつも

糖質12gは私には大きく感じ、諦めていました。

 

今日で、リラックマ皿のシール貼付がなくなります。

そこで、最後のシールをチョコレートブランパンにしたのです。

20161206_chokobran

お昼に食べようと購入したのですが、

気持ちに抵抗感があり、自宅に戻って

夕飯で食べてみました。(笑)

 

チョコレート好きの私は、

「糖質制限」を実施してからは、

全てを遠のけ、一切、食べていませんでした。

もちろん、炭水化物の摂取も最小限にしました。

 

結果は、体重10㎏減、HbA1cは7.2 → 6.0と

カッコいい体型となり、スーツもゆるく、

ベルト穴も一つずれました。

 

チョコレートを食べるということに恐怖感さえありました。

『まぁ、1年間、頑張ったご褒美だよ。』と

自分に言い聞かせ、食べてみました。(笑)

 

『こんなに甘かったんだ。』

 

これが率直な感想です。

食後、だんだん、調子が悪くなって、

眠たくなりました。(笑)

 

理由は、私にとっては過度な糖質であったため

ちょっと刺激が強かったようです。

 

次回、食べようと思うのはいつになるかなぁと

思うほどですね。

 

1年間、アイス、饅頭、お菓子、ごはん、ぱん(ブランパンを除く)

そば、うどんを避け続け、

サラダとおさかな、お肉、チーズ、ゆで卵

に徹しました。

 

体調もすこぶる良く、体が軽くなって、快調です。

 

これからも、あまり、チョコレートは食べないでしょうね。

昨年の今ごろまでは、バクバク食べていたのに・・・

私の場合、糖質摂取後の睡魔との闘いが苦痛です。

 

ということで、糖質制限継続中です。(笑)

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。