夢への軌跡_メルセデスの名前の由来

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【メルセデスの名前の由来】

 

日曜日のお昼をいかがお過ごしでしょうか?

私は午前中から、洗車、そして残務整理と

休むまなく、活動しています。

 

我が家の駐車場にあるメルセデスを見ながら。。。

 

さて、今回は、私の大好きなメルセデス・ベンツの

名前の由来をお伝えいたします。

 

多くの方は、【ベンツ】という響きがゴツくて好きという人もいますが、

私は、あまり、好きではありません。(笑)

 

このメルセデス・ベンツというブランドについては歴史があります。

 

さまざまな情報源により、

色々語られているのでご存知の方も多いと思いますが、

ドイツの技術者である、

カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーの二人が原点です。

 

この二人の開発により、作られたそれぞれの自動車が発表され、

ガソリンエンジンの特許をダイムラーが、

三輪自動車の特許をベンツが

それぞれ取得し、二人が一つの会社を設立して、

ダイムラー・ベンツが出来上がりました。

 

その後、開発にもう二人の人物が関係します。

オーストリアの大富豪エミール・イエリネックと

天才技術者ウィルヘルム・マイバッハです。

 

エミール・イエリネックは自動車産業が

今後の華々しい市場となると確信し

ダイムラー・ベンツと距離を近くしました。

 

自分の娘を乗せても絶対に破損しない強固なボディと

洗練されたデザインを条件にマイバッハの開発に投資を行いました。

 

メルセデスとは、スペイン語で「神のご加護」という意味を持つ、女性の名前です。

その女性こそ、イエリネックの娘の名前だったのです。

 

私は、その話を見聞きしたときに、

多くの人が呼んでいる「ベンツ」という呼称を封印し、

「メルセデス」と呼ぶようになりました。

20161204_2_meru1

あの車は女性なのですね。

 

憧れるメルセデス。それを手に入れたいと感じるのは

私が男性だからでしょうか?

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。