夢への軌跡_迷ったときに立ち返る原則

20160930_迷ったときに立ち返る原則

【迷ったときに立ち返る原則】

おはようございます。
華金ですね。
という当て字の情報が数多く入手できているので
少し真似てみました。
今朝は、北上にいます。

岩手県の中央よりちょい南辺りでしょうか?
凄く、良い環境のもと、
仕事をこなしています。

さて、今日のお題は【迷ったときに立ち返る原則】です。
ここをしっかりと押さえていれば、苦労はなくなりますね。

例えばの話です。
今晩は家族とデートです。
16時に上司から残業を頼まれました。
あなたは、どうしますか?

残業を受け入れる人、受け入れない人、
二つしかありませんが、二方向に分かれます。

仮に家族中心の場合、
受け入れませんよね。たぶん。

仮に仕事中心の場合、
間違いなく受け入れますよね。

【本当の自分の価値判断の中心は何か?】
確認した方が良いと思います。

自分に素直になって、
【自分の中心は○○】です。
としっかり、伝えられれば、
それが正解です。

仕事をするも良し、帰るも良しです。
自分の中心は【原則】であり、
バランス重視です。
20160816_gensoku
【バランス感覚】って、大事ではないですか?

私の場合、今回、
1泊2日で1500キロ程度、移動します。
ましてや、営業車です。

当然のことながら、休憩も必要です。
移動時間が長いので顧客訪問件数が減少します。

しかし、上司や会社に文句を言われる筋合いはありません。
仕事はしています。
体力との勝負ですので、【バランス感覚】重視です。

事故を起こしてしまっては、
会社にも顧客にも迷惑をかけますよね。
あくまでも【原則中心】です。

将来的に、メリットのあるような内容であれば、
誰も非難はできません。
その時のその人の判断だからです。

ある意味、信頼関係ができており、
任されているのです。

それを責めるような企業であれば、
全く、何も理解していないので
【インサイドアウト】から勉強しなおしましょう。

【原則中心】が原点であり、ブレない事実です。
誰にも責める資格はありません。
その時の決断は【原則中心】か否か
自問自答して前進しましょう。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。