夢への軌跡_久しぶりに良くなったかなぁ?

20240710_久しぶりに良くなったかなぁ?

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【久しぶりに良くなったかなぁ?】   

 

7月10日 水曜日です。

 

おはようございます。

 

昨日は気温も体温になり

非常に辛い一日となりました。

 

私・お父さんとしては残るお風呂掃除を

行いました。

 

3日かけて綺麗にしました。

ほぼほぼ、20年ぶりでしょう。(笑)

 

カビキラーを利用しなかったので

今後の課題は、カビキラーをどこで

利用するかとなりそうです。

 

その後は、庭のお手入れとなり

お母さん(監督)に呼ばれてお手伝いしました。

 

『どっちが主役?』

と確認したいところでしたが、

相手は左足甲を骨折しているので

何も言わずに指示通りに動きました。

 

その後の義母さんの歯科医送迎は

お母さん(監督)にお任せしました。

 

既に疲れていたので。。。

 

入院120日目 出戻りICU 12日目 導尿再開5日目

ということで、今日のお題は、

【久しぶりに良くなったかなぁ?】

です。

 

日曜日、月曜日と

見るに耐えない状況であった小粒ちゃん(ネーネ・助監督)ですが、

昨日、火曜日は、それほどでもなく

非常に元気に見えました。

 

担当している看護師S氏も

顔馴染みの担当であり

お母さん(監督)とも

コミュニケーションをしっかりと図れていました。

私・お父さん的には

経管栄養が始まったということと

何をどのくらい入れているのか

が、気になったので

S氏に確認したところ、

しっかりと回答してもらえ

納得のいく内容でした。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の顔色もよく

振戦も発声しておらず、

ラジカセから嵐の曲が流れ

ご機嫌は良かったようです。

 

私・お父さん的には10分程度の面会となるので

様子を確認して、

『退院が目標だからね。』

と言って、退室しました。

目標をどこに置くのか?

非常に大切な内容だと考えています。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)に

『退院』

という言葉を伝えるにはまだまだ早いのですが、

そのためにどのように過ごすのか

が、本人のテーマとなるので

しっかりと伝えてきました。

 

早めに集中治療室からの退室が望ましいところです。

【久しぶりに良くなったかなぁ?】

とは、

顔色も良く、元気な姿を確認できたことに感謝です。

 

これからもハードルはいくつもありそうですが、

少しずつでも前進してもらえることを

期待しています。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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7月10日 水曜日です。

 

昨晩のパウエル氏の議会証言によって

米ドル高となり

本当に9月の利下げを行うのか?

が、ポイントとなりそうです。

 

FRBの番記者となるニック氏の発言では

7月のFOMCで討議を行い

9月利下げ開始が考えられますが、

パウエル氏発言で動きが逆になったようです。

 

テクニカルでは米ドル高が考えられ

ファンダ的には米ドル安が想定されるのですが、

ファンダも米ドル高となると

USD/JPYは上昇していくでしょう。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。