夢への軌跡_まだまだ安心できない!!

20240526_まだまだ安心できない!!

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【まだまだ安心できない!!】

 

5月26日 日曜日です。

 

おはようございます。

 

今日は雨なしの日曜日が考えられ

若干の涼しさも考慮して

知り合いの家の剪定と伐採に向かう予定です。

 

いつの間にか庭師として

活動している私・お父さんです。(笑)

 

庭師道具のメンテナンスもままならないのですが、

時間がないので

しっかりと活動を行ってきます。

その後は筋肉痛との戦いでしょう。

 

入院76日目 抜管38日目 導尿再開18日目

ということで、今日のお題は、

【まだまだ安心できない!!】

です。

 

昨日の担当看護師は

男性のF氏となりました。

 

ここのところ、ご無沙汰であったのですが、

しっかりと対応をしてもらえる

男性看護師となります。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の容体は

昨日の全身けいれんの後

嘔吐があり、

枕元にオムツが敷かれていました。

 

着衣も口周りも大変なことになっていたようです。

解熱剤の効果か

体温は37℃となり

平熱に戻っていますが、

意識はクリアではありません。

 

手を握ると

非常に冷たく、お母さん(監督)から

「冷房じゃない?」

ということから風向を変えようとしましたが、

 

固定されているフラップであり

動かすことはできませんでした。

我々が面会に訪れる時にも

若干、寒いなぁ

と感じるほどであるので

外気温が高いと

自動調整の冷房は

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)にとって非常に

不利に働いているようです。

 

吹き出し口からダイレクトに

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体に当たっている都合上

「風邪を引いたのでは?」

と考えられます。

そこで、今日の訪問時には

フラップをつけるために

脚立とB4のクリアファイルを準備して

面会に向かう予定です。

 

吹き出し口に設置する予定です。

 

もちろん、冷えピタも必要です。

 

病院に入院しているはずなのですが、

そこまで患者のケアは行ってもらえません。

個室にいた頃には

空調のスイッチを止めることも可能でしたが、

大部屋に移ると

そうもいかず、

それぞれの対応となるようです。

 

これ以上、悪くなってしまっては

体力不足となるので

しっかりと毎日訪問時に対策を練って

対応していきたいと考えています。

 

対応が後手に回ると

生還できる命も生還できなくなります。

 

親としては必死ですね。

【まだまだ安心できない!!】

とは、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の状況を考えると

良くなりつつある容体が

一気に悪くなりました。

 

病院の判断に任せているばかりでは

手遅れになりかねないので

我々が動き出します。

 

たかがフラップですが、

されどフラップです。

 

エアコンに弱い

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体を

熟知しているからこその対応となります。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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5月26日 日曜日です。

 

米ドルのジリ高であることは

理解できましたが、

突破口がないということから

トレードはお休みするか

短期での目を離さない手法がオススメです。

 

備忘録は完成しました。

後ほど、アップします。

 

にゃんにゃん。。

 

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20240519_FX_相場環境_動画解説

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20240519_updated

夢への軌跡_FX_6通貨_相場環境認識・備忘録_20240519

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。