夢への軌跡_夫婦の決断は一致しました。

20240325_夫婦の決断は一致しました。

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【夫婦の決断は一致しました。】

 

3月25日 月曜日です。

 

昨日は若干暖かく

過ごしやすかったように感じました。

 

それでも

ネックウォーマーと長袖アンダーは

必要不可欠と考えています。

 

いつになると20℃以上の春がやってくるのやら。。。

 

と思いつつ、今日の雨空を見上げています。

 

入院14日目 挿管13日目

ということで、今日のお題は、

【夫婦の決断は一致しました。】

です。

 

昨日も決まった時間に

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の面会を行い

往復の車中での

お母さん(監督)との会話を行いました。

 

突然にやってきた

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の救急搬送と入院であり、

現時点では植物状態を維持しています。

 

今後、半年以内には。。。

という状況です。

 

そのような状況下で

お母さん(監督)と私・お父さんの二人の会話は

非常に明るくなりました。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の持病では

寿命と考えられるからです。

以前にも

投稿しましたが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が一人で

現在の社会で生き抜くことは難しく

私・お父さんとしても

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)を残して

旅立つことははばかれます。

 

我が家の普通を考えると

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の救急搬送は

イレギュラーであり、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

救急搬送されずに

自宅で終了させたかったのかもしれない

と考えるようになりました。

 

それを無理に、救急車のお世話になったが故に

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)も

現時点では迷っているのかもしれません。

無理に引き戻しても

親としての葛藤もあり

自然に任せることが良いという決断に至りました。

 

今日は、神経内科と救急の医師

そして、看護師と医療福祉の参加のもと

今後の治療方針が語られます。

 

我が家の結論としては

生きてこそ、人生

生かされている状況は望まない

という結論に至ることでしょう。

最終的には、

私・お父さんがサインをすることとなりますが、

哲学に位置する内容なので

軽薄な看護師さんには参加してほしくない

と思う現在です。

 

私・お父さんの医療業界で

様々な看護師や医師に遭遇しましたが、

軽薄な医療従事者は見透かされますね。

 

患者家族として、意見があることは

言わずもがなです。

【夫婦の決断は一致しました。】

とは、

方向性に違いはないので

我が家の意見は一致しました。

 

あとは、いかにして

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が

自らの人生を全うするかだと思います。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月25日 月曜日です。

 

備忘録の通りに週前半はトレードを

行いたいと思います。

 

その後は、毎日の確認ですね。

オセアニアと米ドルは力関係がはっきりしてくると

思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。