夢への軌跡_なかなか難しい意見一致です。

20240326_なかなか難しい意見一致です。

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【なかなか難しい意見一致です。】

 

3月26日 火曜日です。

 

雨が続く南関東です。

昨日は家中での作業を完了して

次女ミー(ミータ)のトイレや水の掃除を行いました。

 

現状の生活を維持することも大切です。

 

その後の買い物となりますが、

今まで3人で買い物を行なっていた

一人の姿はありません。

 

お母さん(監督)と私・お父さんの二人での

寂しい買い物となります。

 

途中、昨年、小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が行きつけの

店舗に二人で訪問しましたが、

私・お父さんは、限界でした。

 

思い出すことが多く、涙が浮かんできます。

 

昨年の今頃、

「お父さんのお財布を新調しよう。」

ということで

至る所のブランドショップに3人で訪れていたのです。

 

その記憶が頭の中から離れません。

ということで、今日のお題は、

【なかなか難しい意見一致です。】

です。

 

現在の小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の状況を確認すると

生きたいと思っているのか

生かされていると思っているのか

微妙な状況です。

 

私・お父さん的には

『難しい!』

と考え、

延命治療を行わないという約束を医師と行いました。

 

これ以上、長引くと

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)以上に

お母さん(監督)の健康状態が危ぶまれます。

 

社会福祉士との面談で

『これ以上は難しい。』

という内容を伝え、

家庭内状況を合わせて伝えました。

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

自分で覚悟を行なって

自分の命を考えたのです。

 

そうです。寿命です。

 

それを現段階での医療では

助けてしまうこともあり

その事象が

彼女にとっては、苦痛になりかねません。

 

そのような内容を伝えつつ

経済的、体力的、精神的不安を伝えました。

 

闘病とは

本人が戦うだけではなく

家族で戦うインシデントです。

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

遺言のように

I stick to what I have decided in my life.

というメッセージを残していました。

 

和訳をすると

人生の自分で決めたことについて執着する

ということとなります。

 

なぜ、stick という単語を選択したのかは

分かりませんが、

本人の一生懸命のメッセージとなります。

 

その内容も伝え

一人で生きていくことは難しいことも伝え

延命治療はやめてもらうこととなりました。

医師としては

助けることが成果となるので

結果に関わらず、

命を助けることが仕事でしょう。

 

しかし、家族はアウトカムが必要です。

 

寝たきりでは

戻ってきてもらっても、我々の仕事量が増加し

家庭内環境も難しくなります。

 

悩みどころですねぇ。

【なかなか難しい意見一致です。】

とは、

医療従事者が患者家族の意見を

組んでもらえないということでした。

 

医師は2人でしたが、

お二人とも若く、

私・お父さんの言い分は理解できないのでしょう。

 

患者家族に寄り添うことが必要だと考えられる状況なのですが、

このまま、蛇の生殺し状態が続きそうで

暗礁に乗り上げました。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月26日 火曜日です。

 

月曜日のチャートは綺麗ではないですねぇ。

と考えられるチャートを描いています。

まだまだ待ちの状況であると考えています。

 

にゃんにゃん。。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。