夢への軌跡_先輩方にサッカーの話を聞くと。。

20221204_先輩方にサッカーの話を聞くと。。

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【先輩方にサッカーの話を聞くと。。】

 

おはようございます。

12月4日 日曜日です。

 

12月の最初に日曜日です。

今日も雨なしで

晴天に恵まれそうな天気予報です。

 

まさに洗濯日和なのでしょう。

 

しかし、寒いですねぇ。

朝の気温がとうとう、3℃まで低くなりました。

もう少しで製氷できる温度です。

 

そろそろスタッドレスの準備かなぁと

内心、考えていますが、

まだまだ腰の調子が万全ではないので

散歩程度で

しっかりと筋肉をつけている状況です。

ということで、今日のお題は

【先輩方のサッカーの話を聞くと。。】

です。

 

昨日は定期的に骨盤の位置を治してもらう

治療へ行ってきました。

 

1時間のマッサージとなりますが、

話題としては、W杯でした。

 

毎日、多数の患者さんと接している

施術師さんは、

私・お父さんより年齢の高い方のケアが多いようです。

 

70代くらいの方からは

ベッケンバウワー、奥寺

という選手名が浮上しているようです。

 

当時のテレビ放送は東京12チャンネルくらいしかなく

毎晩、眠い目をこすりながら、

確認していたようです。

 

本当に筋書きのないドラマです。

そのような話を聞いていると

現在ではVARというシステムがあり

「ビデオ アシスタント レフェリー」

というシステムがあり、

 

日本のスペイン戦での2点目が解説されました。

 

試合中にも

主審が確認しているはずですが、

FIFAが公式にアナウンスを行ったようです。

 

角度によってはゴールラインを割ったように見える

ボールは上から見ると超えていないとなり、

三笘選手のクロスは有効となり

田中選手の2点目となります。

FIFAもあらゆる技術を利用して

正論を持ち込んできます。(笑)

 

日本にとってはありがたい話です。

 

ドイツは、日本が引き分けであれば、

決勝トーナメントに出場できたので

国民感情は誤審に向かっていたのは事実です。

 

誰もが不審に思う点について

素晴らしい回答をFIFAは行い

その解析技術をしっかりと伝えたということでしょう。

ベッケンバウワーや奥寺の時代には

なかったVARであり、

前回大会にもなかった方式となります。

 

段々と精度が高まっていき

誤審をなくすことが優先でしょう。

 

日本チームが決勝トーナメントで

勝利すると経済効果は200億円とのことです。

 

誰もが必死になりますね。(笑)

【先輩方のサッカーの話を聞くと。。】

とは、

現代の技術力の高さを確認できることです。

 

地上波で放映権を争うということも然り

誤審を防ぐシステムがあり、

万人を納得させることができるのは

現代の技術力でしょう。

 

今後の試合が楽しみになってきました。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

2日、話さないと忘れますから。。。

1月から11月は、パーフェクト!

今のところ、順調です。

 

2022年は現時点でパーフェクトです。

無駄にできない毎日25分ですねぇ。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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12月4日 日曜日です。

 

備忘録は完成しました。

本日中にアップします。

 

色々とよく見えてきました。

雇用統計後にエントリーしたポジションは

EUR/USDのロング 30 pips

USD/JPYのショート 50 pips

となっています。

 

ということは大きな流れには逆らえないということでしょう。

 

年末年始での円高に期待感が強くなりそうです。

 

にゃんにゃん。。

 

チャンネル登録をお願いいたします。

 

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20221127_EUR/USD_相場環境_動画解説

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20221127_updated

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共に学びましょう。

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【い・ろ・は・組(168)_2】

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にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。