夢への軌跡_無料から有料へ。会社としても面倒みない?

20200111_無料から有料へ。会社としても面倒みない?

 

==============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

https://blog.with2.net/link/?1840281

==============================

【無料から有料へ。会社としても面倒みない?】

 

おはようございます。

111日 土曜日です。

 

今週は体調不良で

どうも午後から調子が悪くなることが

多かった私・お父さんですが、

理由が判明しました。(笑) 

 

昨日は、会議ということで、

室内にこもっていました。

 

午後からの体調不良はなく、

順調に一日を過ごすこととなりました。

 

と言うことは、

気温の変化について行かれなかった

と言うことが主たる原因のようです。

 

朝は、0度近く、そして、午後からの日中は

15度近く、更には着るものに苦慮しつつ

夕方になるとまた、0度となると

流石に私・お父さんも

体がついて行かなかったようです。

 

今日からの3連休でしっかりと対応できるように

体を整えたいですね。

 

まずは、健康第一です。

 

さて、今日のお題は、

【無料から有料へ。会社としても面倒みない?】 

です。

 

これは、英語のレッスンの話です。

 

昨年の1月から、ほぼほぼ完璧にレッスンをこなし

90%近いレッスン受講率で

年間330レッスンをこなしました。

 

予習と25分のレッスンでほぼほぼ、

毎日1時間程度を英語の費やしました。

年間ではおよそ300時間です。

 

目標となるTOEIC800のゴール達成は

今年までお預けとなりましたが、

780点と言うところまでたどり着きました。

 

一つの語学を学ぶには1万時間が必要と言われています。

 

中学から高校、そして、大学と

学習時間は凡そ、5000時間に到達するはずです。

 

残りの半分を自分で努力しないといけない

と言う状況です。

 

海外に駐在していると

1年間で8760時間、英語漬けとなるはずです。

 

ですから、1年間、駐在をすると

まずは問題なく流暢に会話ができるレベルに到達するのですね。

 

私の場合、

長くても一月しか滞在していないので

まぁまぁ、約1000時間と考えても

人生経験で英語漬けの時間は1万時間に到達していません。

 

その残りをしっかりと獲得するべく

努力していたのですが、

昨年1月に開始した英語レッスン(会社負担)も

終了を告げようと言われています。

 

仕方ないですね。

無料で1年間、学習したので

今年からは自腹です。(笑)

 

数多くの講師と出会い、

学んできたのでアカウントだけは

維持したいと言う希望を言い出したら、

会社の人事が提供会社に交渉してくれています。

(笑)

 

まさに、努力は協力者を招くのです。

 

それほど、高額な金額ではないのですが、

年間300レッスンをこなした社員はいないので

人事も動いてくれたのでしょう。

 

すると、価格交渉に提供会社が

社内稟議をあげて割引してくれるようです。

 

その結果は来週となりますが、

確実に割引がされるような雰囲気です。

 

【無料から有料へ。会社としても面倒みない?】 

とは、

所属企業からは面倒を見てもらえませんが、

1年間の実績が提供会社を動かしたようです。

 

自腹とはなりますが、

安価でレッスンを受けることができるのは嬉しいですね。

 

習慣化することで、

しっかりと英語の実力もついてきているかなぁとも

考えています。

 

まさに、『継続は力なり!!』ですねぇ。

     

2020年も頑張っていきましょう。

           

常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

   

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

にゃんにゃん。。

 

*****************************

ブログランキングの応援をお願いいたします。


人気ブログランキング

https://blog.with2.net/link/?1840281

*****************************

 

111日 土曜日です。

昨日、雇用統計前のUSD/JPYは、

ボーダーまで上昇してきました。

 

本来、雇用統計前にポジションを無くすことが

セオリーなのですが、

小ロットでテストしてみました。

 

この壁を超えるのか否か?

USD/JPYは超えず、停滞しています。

 

雇用統計でも動かずと言う結果でした。

なかなか重たい腰ですね。(笑)

 

土日で検証に取り掛かります。 

しっかりとチャートを見てです。。。

   

今週、USD/JPYに限って相場環境認識をアップデートしました。

 

必要な方は、ご確認ください。

*****************************

20200105_updated

夢への軌跡_FX_USDJPY_相場環境認識_20200105

https://fukuyama-syo.com/archives/14447

*****************************

 

しっかりと、チャートを見ると

今後の動きが見えてきますね。

 

もし仮に、想定外の場合には損切りを

行うことで最小限のリスクで回避できます。

 

しっかりと、考えてトレードを行うことで

トレーディングの質が向上します。

 

とまぁ、エセアナリスト登場です。(笑)

*****************************

最新の無料FX講座が書面で手に入ります。

これが無料なら、

本を購入する必要はなくなりますね。

https://fukuyama-syo.com/fpo2020

ある意味、PDFで保管しておいても良いと思いました。

しっかりと学ぶには、わかりやすい、

そして、見やすい資料が必要ですね。

『始めの一歩』です。

*****************************

20200105_updated

夢への軌跡_FX_USDJPY_相場環境認識_20200105

https://fukuyama-syo.com/archives/14447

*****************************

 

楽しみながら。。。

        

相場の神様に感謝しつつ。。

チャートを確認していきましょう。 

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

エセアナリストですけど。。。(笑)

    

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

  

エセアナリストのお仕事です。(笑)

*****************************

20191222_uploaded

夢への軌跡_FX_どるえん_相場環境認識_20191222

https://fukuyama-syo.com/archives/14210

*****************************

収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

そして、2019年のドル円の年ボラは、

なんと、8円弱です。

 

ここまで収縮してくると

何かの前触れかもしれませんね。

 

2020年は東京オリンピックが開催され

観光収入が日本に集まってきます。

 

外部環境的には、円高より円安の方が

外貨を獲得しやすいと言う印象を持つのでは

ないでしょうか?

 

個人的には円高の方がありがたいのですが、

大きなお金を扱っている企業や政府などは

1ドル120円程度までの上昇を

視野に入れているかもしれませんね。

 

と言うことは、

2020年は新たなサイクルを形成する可能性も

高くなります。

 

気になるのは米国のDJI数値です。

28000ドルを超えているにもかかわらず

USD/JPYに影響がないと言うことは

借金返済のタイミングがいつかやってくる

かもしれません。

 

何がきっかけになるかはわかりませんが、

準備は必要です。

 

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

*****************************

ブログランキングの応援をお願いいたします。


人気ブログランキング

*****************************

          

【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?

もう一回、無料です。

2020118日です。Webinarとなります。

申込者の方にURLを送信します。

紹介者に、「福山」と入力してくださいね。

 

ちょっと、覗いてみるのも良いかもしれませんね。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

無料でここまでの情報が得られるのであれば、

時間を割いて参加する価値ありと

個人的には考えています。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

==============================

少しでも前向きになれたなぁと感じたら、

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

==============================

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

――――――――――――――――

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。