夢への軌跡_医師との会話

20160726_医師との会話



【医師との会話】


おはようございます。

今日は火曜日ですね。

暑さ故、体調には気を付けて

頑張っていきましょう。


さて、今日のお題は、【医師との会話】です。

一昨日、投薬方法に間違いがあり、

患者が亡くなってしまったというニュースがありました。


医療器械や薬剤には定められた使用方法がメーカー側より

製品の『添付文書』として貼付され、

内容の確認のために医局では製薬メーカーが、

病棟では器材メーカーが説明会を適宜行っています。


今回の薬剤である「ラミクタール」という製剤は

グラクソ・スミスクライン株式会社より

2008年12月より発売開始され、

他の抗てんかん薬と比較し、

女性には生殖器官への影響が少ないとされ、

女性に勧められていた薬剤となります。


しかしながら、即効性はなく、

体重によって処方を段階的に増量していく方法をとります。


また、投与開始後2週間は、1日おきでの服用となり、

通常の薬剤と比較すると

「はっきり言って面倒くさい」薬剤となります。


更に『添付文書』上、記載されている内容を熟読せずに処方することは

言語道断であることは間違いないと言わざるを得ません。


医療では、昔は「薬事法」と言われていた

今では、「薬器法」と呼ばれる法律があります。


その法律上では、

「添付文書を守りましょう」という

意味合いなのですが、

それより、上に医師法というのがあり、

医師の判断で逸脱した処方や使い方も認められてしまっています。


ここまでが、背景です。

そこで、【医師との会話】が必要となります。

診断時に『全てお任せ』は、はっきり言ってまずいですね。


医師がどこを目指して治療方針を立てているのか

患者として、理解する必要があります。

簡単に『添付文書』は入手可能です。

インターネットで予備知識をもって

診断に臨む患者も多いと思いますので

しっかりとした説明をしてもらう必要がありますね。


知識不足な医師は、回答できないため、

その場で調べてでも回答してもらえると思います。


【医師との会話】を避けて通ろうとすると

言葉は悪いですが、研究にされてしまうこともあります。


しっかりと学んで、今、自分が服用している薬がある方は

判断した方が良いかもしれませんね。


私の糖質制限に至るまでに

薬剤変更と食事制限により、

ある意味、糖尿病克服に至りましたので

併せて、報告いたします。
http://ameblo.jp/fukuyamashow/theme3-10097077849.html



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。


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やっぱり思い込みっていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。