夢への軌跡_駆動力と抑止力

20160727_駆動力と抑止力



【駆動力と抑止力】


おはようございます。

今日は水曜日ですね。

私は、東北に逃げてきましたので

若干、涼しさを感じています。

さて、今日のお題は、【駆動力と抑止力】です。



良く見ますよね。

ブレーキを掛けながら、アクセルを踏む人?

私もそのカテゴリーに入ることもあるので

十分な注意が必要です。


もちろん、

駆動力 = アクセル

抑止力 = ブレーキ

と車ではそのように判断されますね。


私も、自分の気持ちが乗っていないにも関わらず、

前に進ませたいという思いが先に立ち、

アクセル全開の時があります。


これって、省エネには不向きですし、

ムダの助長ですよね。


自分のエネルギーをムダに使用していると考えられます。


では、どうしましょう?

抑止力となっている内容を排除することが必要です。


まずは、ブレーキを外して

リラックスして、(ニュートラル)にして

駆動力を活用(アクセルを踏む)することが必要ですね。


気乗りのしない案件には、

正直に、素直な気持ちになって、

案件を進める前に、抑止力を排除することが必要ですね。


私の場合、

『東北に行きたくないなぁ』

『でも、行かないとまずいよなぁ』

『娘にしっかりと話をして、出張の許可をもらって』

『抑止力を外して、アクセル全開ですね。』


娘は大好きなので。

こんな感じでしょうか?


でも、私自身、日本を代表するあるカテゴリについては

右に出る人がいないと自負しているので。


これは、ある意味、自慢かも?

ということは劣等感ですね。(笑)



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。


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やっぱり思い込みっていけませんね。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。