夢への軌跡_私にとって静かな時間

20160914_私にとって静かな時間

【私にとって静かな時間】

おはようございます。
週の真ん中水曜日ですね。
今日は都内営業ですので、走行距離はそれほど増えないでしょう。
しかしながら、重要な顧客ばかりですので
気合を入れて頑張ります。

さて、今日のお題は
【私にとって静かな時間】です。

この頃、我が嫁と娘が双方ともにハマっている
テレビ番組があります。
『好きな人がいること』という月9のドラマらしいです。

月曜日の21時から23時まではお父さんの自由な時間となります。
月9の後は、『スマスマ』です。
何という、現金な彼らなのでしょうね。

その2時間は非常に静かな時間を過ごしています。
我が家で。
非常に有意義な時間にもなります。

面白いくらいです。
先週の日曜日、朝起きて、スケジュールを確認すると
今日はどこにも行かないで、家で過ごすということであったので
庭いじりを始めようとした私に、
「お父さん、お台場に行こうよ。」
『なんで?お台場ってフジテレビ?』
「すきことのイベントをやっているから、見に行きたいんだよ。」
『すきこと?』
なんじゃそりゃ?
という、頭の中で語彙がぐるぐる回ったけど、
嫁さんが、「≪ 好きな人がいること ≫っていう
月9の番組のイベントをやっているらしいんだよね。」
『あらそう?』
ということで、午前中に仕事を済ませ、
お昼頃からお台場へ行ってきました。

しかし、往復の車中は、二人とも爆睡です。
お父さんは、それほど、行きたくもないお台場へ運転手として
駆り出されました。(涙)
20160914_sukikoto-2
到着後、台本やメッセージをかける壁や、写真を撮れる場所が
あったりする、小さい会場へ足を運び、
娘は大満足でした。

ん~~、お父さん、大活躍でした。
そんな娘もいつまでお父さんと一緒に活動するか
微妙ですね。

本当は、土日に車の運転はしたくないんですよね。
これは、本音です。(笑)
毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。