夢への軌跡_次女誕生?

20171104_次女誕生?

 

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【次女誕生?】

 

おはようございます。

今日は土曜日です。

 

お父さんは、いつものように

土曜日の小粒ちゃん送迎です。(笑)

 

午前中は車中での資料整理と

お仕事の日報や商談の整理となるでしょう。

 

いつでも、お仕事ですねぇ。

 

昨日、祝日は、小粒ちゃんとお母さんと

家族3人でお買い物です。

 

食品を購入することよりも

成長期の小粒ちゃんの服がないという

ことで、いろいろなところで

出没して小粒ちゃんの服を

購入してきました。

 

なにせ、体の大きさが異様なくらい

横に大きくなってしまったので

今年の春に着ることができた服が

全く、着られず。。。

 

ぱっつんぱっつんとは

まさしくこのことを言うのですね。

 

ズボンはお尻のワレメちゃんまで

わかるくらい、おデブになってしまいました。

(笑)

 

その後は、お昼ご飯を食べて

久しぶりに一家団欒の時間を

外食で過ごしました。

 

日々、時間に追われていると

のんびり過ごすことも忘れてしまいますね。

 

もちろん、お父さんの外食は、

「脱炭水化物」です。(笑)

とんかつ、ご飯なし

という店員さんもビックリのメニューですね。

 

その代わり、トン汁とキャベツの

お替わりは、たんまりといただきました。

 

そんな有意義な時間を過ごして

義母のところへ、行ってきました。

 

我が家からはクルマで10分程度なので

直ぐに行かれるのですが、

義母の家には、お稲荷さまがあり、

毎月1日と15日にお参りをする

習慣があります。

 

我が家では、1日に行かれなかったので

昨日の3日にお参りしてきました。

 

ということで、今日のお題は、

【次女誕生?】です。

 

そのお参りには、お母さんとお父さんで

お稲荷様を綺麗に掃除して

お水と油あげを備えています。

一旦、お父さんである私が

備えてあるお水のコップと

油あげをのせるお皿を取りに行くと、

案の定、ネコかカラスにとられていました。

 

綺麗にカギをあけて、中身のコップは

どこかへ飛んで行き、

お皿の上は空っぽです。(笑)

 

まぁ、いつもの事なので

洗ってもらうために

持って帰ると、お母さんが準備して

改めてお稲荷様に向かいました。

 

拝んで終了して帰ろうとすると

「なんか、臭いね。」

『なにが?』

「獣の臭いがする。」

『私の鼻は馬鹿だから。。。』

「ん?なんか?泣いてない?」

『聞こえないけど。。。』

「いやぁ、泣いてる。」

と振り向くと

『お母さんの後ろにネコがいるよ。』

「うわっ!だからだ。

 これじゃぁ、踏んづけちゃうよ。

 小粒ちゃん、かわいいよ!」

 

「うわぁ、かわいいねぇ。」

と小粒ちゃん。

 

「ねぇ、婆。飼おうよ。」

というけれど。

 

「飼わない。」

と婆は一点張り。

 

「ねぇ、どうする?」

と小粒ちゃん。

 

「婆に飼ってもらおうよ!」

とお母さん。

 

このようなやり取りが1時間程度続き、

いい加減、お父さんも疲れてきたので

『連れて帰れば?』

と。

 

「やったぁ。」と小粒ちゃん。

 

「誰が世話するのよ。」とお母さん。

 

『お母さんでしょ?』と私。

 

とはいうものの、

捨てられてしまったネコは

行き先がないわけで。

 

一旦は引き取ることにしました。

 

非常にこれが、人懐っこいので

我が家の次女誕生ですね。

 

小粒ちゃんのお友達になってもらって

おトイレのしつけをきちんとすれば

まぁ、なんとかなるでしょう。

 

と楽観的なお父さん。

 

しかし、来週の平日となると

一応、動物病院で検査が必要ですね。

 

まだまだ、生まれたてで必死になって

私たち家族についてきたネコですね。

 

名前をどうするか?

誕生日はどうするか?

まずは、生きていかれるのか?

 

色々な心配事はありますが、

『良いんじゃない?

 次女誕生で。

 長女が生意気だからね。

 小粒ちゃん。』

 

ということで、

けがをしているネコを一旦、引き取っています。

 

祝日でもトレードはできます。

しかし、もともと、祝日は

動きません。

 

ですから、見送っていました。

そして、第一金曜日

日本時間21時30分スタートの

雇用統計発表でした。

 

予想通りの展開でドンピシャでした。

行って帰って60 pips獲得です。

気分よく、土曜日を迎えられました。

 

 

 

常に前向きに頑張っていきましょう。

 

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。