夢への軌跡_夏休みの宿題

20160807_【夏休みの宿題】

【夏休みの宿題】

毎日、暑い日が続きますが、

みなさん、お元気でしょうか?

私は、昨日、子供の【夏休みの宿題】の手伝いで

追われており、久しぶりに父親らしく

べったり、娘についておりました。

さて、今日のお題は【夏休みの宿題】です。

レポートという名目の課題が多い娘の学校は

どうしても、インターネットで調べて

まとめあげるという作業が必要になります。

そこで、お父さんの登場となるわけです。

今回は野生の生物を一つ、調べましょう。

極力、触れて感じましょう。

というお題の理科の宿題なのですが、

『野生の生物を触ったら危険でしょ?』

といきなり、突っ込みを入れたくなったので

絶対に触れない動物にしようと娘と考えて

【カラス】にしました。

20160807_karasu

【カラス】と言っても奥が深くて

少々、お父さんである私もうなってしまいました。

私達が目にする、【カラス】は【ハシブトカラス】と言い

ユーラシア大陸からアジアに生息する

俗にいう、都会でいたずらをしてしまい、

ゴミを散らかす【カラス】のことです。

その【カラス】ですが、

あなどるなかれ、脳化指数という数字は

人間の1/4で、小学校低学年程度であり、

集団生活をしており、一夫一婦制です。

ましてや、葬式も執り行うという

素晴らしい団結力もあります。

更にびっくりしたのは、

【4色型色覚】と言い、

人間より、何でも良く見えるのです。

人間は、【3色型色覚】と言い

赤、青、緑の3色から識別するのですが、

【カラス】はプラスで、紫外線を

使って、見るそうです。

色彩の判別は人間の100倍程度、

1億色も見分けることができ、

ゴミ袋の中身も見えてしまう

という、凄い生物なのです。

都会では、自治体が配布するゴミ袋(黄色)は

紫外線カットとなり、中身が見えないように

しているとのことです。

【カラス】が黄色を嫌うわけではなく、

紫外線をカットされているゴミ袋だから、

中身が見えないのですね。

だから、つつかないということになります。

因みに面白かったのは、

そのゴミ袋の製造方法は企業秘密だそうです。

凄い所にビジネスチャンスがあるんですね。

全国のお父さん方へ

自由研究に迷ったら、【カラス】も

良いかもしれませんね。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。