夢への軌跡_段々と遠くなるねぇ。

20240901_段々と遠くなるねぇ。

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【段々と遠くなるねぇ。】

 

9月1日 日曜日です。

 

おはようございます。

 

台風の影響が強く

今朝まで土砂降りの南関東でした。

 

これから雨が上がるのかなぁと

空を見ていますが、

まだまだ続きそうです。

 

今日も家でゆっくりと学びの時間とします。

 

ラッキーなことに

お母さん(監督)はお友達とランチ会食のようなので

一人で次女ミー(ミータ)と共に過ごしたいと

考えています。

 

ムシムシ感が強いので

冷房は自動で稼働中でしょう。

 

入院174日目 転院2日目

ということで、今日のお題は、

【段々と遠くなるねぇ。】

です。

 

自宅で共に過ごしていた年始でも

意思疎通がなかなか行えず、

『検査を受けようよ。』

と伝えても

「イヤだ!」

と断られ、

 

段々とお家にいても距離感があった

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)でした。

 

3月には救急搬送され、

地元の救命救急センターで

一命は取り留めたものの

毎日10分の面会で

173日を過ごしました。

 

調子の良い時も悪い時も

面会時に我々も感じるところがあり

それを主治医や看護師に伝えて行きました。

しかし、

主治医から、

「本人のためには専門病院に転院するべき」

と案内されて、

千葉県の病院から埼玉県の病院へ

転院して2日目となります。

 

日課となっていた面会は

転院先のルールでは不可能となり

土日祝のみの予約制面会となります。

 

会えない間に改善していれば良いのですが、

心もとない状況です。

昨日、日中にお母さん(監督)との会話で

『会えないって割り切ると神頼みしかないね。』

と言うと

「段々と遠くなるね。」

と返ってきました。

 

響く言葉ですねぇ。

 

その言葉を繰り返すたびに

涙が溢れてきます。

『なんとか、戻ってきてほしい。

内服の調整を行い、けいれん発作をなくしてほしい。

口から食事を取れるようになってほしい。』

と願いながら、

毎日を過ごしています。

 

そうすれば、

千葉県に戻ってきて

リハビリのみの病院で受け入れてもらえるようになるはずです。

【段々と遠くなるねぇ。】

とは、

次回、面会できるのは早くて9月7日となります。

 

それまでに病院からの電話がないことを祈りつつ

お母さん(監督)と私・お父さんは

しっかりと

自分の生活を営めるように考えます。

 

日課がなくなった分

平日の活動に追加項目が増えてきたのも

事実です。

 

親心を大切にしながら。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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9月1日 日曜日です。

 

動かないチャートで

来週の値動きを確認しています。

 

どこまで織り込み済みの

FRBの利下げか?

それとも

基軸通貨の勢いを回復するのか?

新たなインシデントがやってくるのか?

を見ながら、

現状のチャートと会話を行いました。

 

今日中にはアップしたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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20240825_FX_相場環境_動画解説

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夢への軌跡_FX_主要通貨_相場環境認識・備忘録_20240825

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。