夢への軌跡_まだまだ階段は多く!

20240507_まだまだ階段は多く!

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【まだまだ階段は多く!】

 

5月7日 火曜日です。

 

おはようございます。

 

今朝は雨模様なので

傘が手放せない状況となりそうです。

 

ということは、

私・お父さんにとってはラッキーであり

アウトドアの作業は棚上げとなります。

 

既に筋肉痛に襲われており

乳酸放出の術を探しています。

 

私・お父さんの体にとっては一大事となるので

しばらくは雨が続くことで

安静にしつつ

乳酸放出をしっかりと考えていきたいと思います。

 

入院57日目 抜管19日目 導尿抜管8日目

ということで、今日のお題は

【まだまだ階段は多く!】

です。

 

昨日の面会時には、

体調がすぐれないのか

担当看護師に反発しているのか

定かではありませんが、

イライラ感の強い小粒ちゃん(ネーネ・助監督)でした。

 

体温は37.3であり、

昨晩は37.8を示し

解熱剤が投与されたようです。

 

そして、昨日の午前中には嘔吐となり

ナースコールを呼ぶ間もなかったという報告を受けました。

その後、ケアをしてもらえたのでしょうが、

ここの病棟では

看護師次第で口腔ケアが異なります。

 

なので、

我々が訪問した際には

口の周りがベタベタでした。

 

私・お父さんがお尻ふき(ウェットティッシュ)を利用して

顔を噴き上げて

唇だけリップクリームを塗りました。

 

唇だけを考えても

表だけではなく、裏のケアも必要ですねぇ。

昨日の看護師さんS氏は、

好きではない一人となります。

 

状況報告を行うと退室してもらい

どこかへ消えていきました。

 

私・お父さんが行うべき

アイスマッサージについては

見送りました。

 

流石に嘔吐をした後では

若干の抵抗感があり

様子見としました。

面会記録をしっかりととっていますが、

やはり、

過去にも昨日担当のS氏は

評価悪く、

患者である小粒ちゃん(ネーネ・助監督)も

私・お父さんも

同じ意見となりました。

 

今日は、きっと、良い看護師さんに恵まれることを

期待したいと思います。

【まだまだ階段は多く!】

とは、

経鼻からの栄養投与後、

数分経過してからの嘔吐となり

ケアの行き届かない看護師さんでは

難しい状況であったのでしょう。

 

『この看護師が担当するとろくなことはない。』

とは、

私・お父さんの印象です。

 

患者差別を行っているわけではないのでしょうが、

患者家族としては

看護師のレベルを考えてしまいます。

 

医師が一生懸命であっても

看護師が手を抜くと

かわいそうですねぇ。

 

『今日はそのようなことがないようにしてもらいたい!!』

と願う

私・お父さんの心の声です。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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5月7日 火曜日です。

 

昨日は東京市場とロンドン市場がお休みであったので

ほぼほぼ動かないというチャートでした。

 

今度、ドルストは下方向へ動き出しそうな気配を

感じており、

USD/JPYは、レンジとなるという見方です。

 

従い、クロス円は下目線で見ていきたいと思います。

 

やはり、基軸通貨となる米ドルに

左右される相場なのでしょう。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。