夢への軌跡_本を読んだ学び・・・

20170805_本を読んだ学び・・・

 

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【本を読んだ学び・・・】

 

おはようございます。

 

土曜日ですね。

 

今日は予定では、

実家への訪問がありましたが、

突然、お断りの電話があり、

我が家の整理をしようと

羽を伸ばしています。(笑)

 

老年であるため、体調不良の様子。

 

従い、我が家が訪問することに

抵抗感があるらしいです。

 

体力的に問題があるのだと思います。

 

ということで

今日は自由な一日になりますね。

 

現在での計画は洗車と庭仕事ですね。

自由な時間を楽しみたいと思います。(笑)

さて、今日のお題は

【本を読んだ学び・・・】です。

 

この年齢になると

いろいろなところから

今後の話を頂戴します。(笑)

 

それは、転職ということもありますが、

ビジネスを始めましょうという

言葉も多くいただきます。

 

本当に声をかけていただけるだけで

嬉しいのですが、

自分なりにちょっと調べてみました。

 

日本では、60歳定年となりますね。

 

私の所属する企業では63歳のようです。

外資系なので、「なぜ、決まっているの?」

とは、私の心の声です。(笑)

 

米国資本の企業では、

もちろん米国内ですが、

いつまででも働けます。

 

そして、いつでもリタイアできるのですね。

 

そのような慣習を持っている

人からしてみると63歳定年は

ビックリですね。

 

そして、更に、退職金だけでは

全く、余生を生きて行かれるだけの資産を

得ることが出来ないのも現実です。

 

そこで、ある本を読み学びました。

 

現在の日本の環境では

定年後の恐怖が待っていますね。

 

しっかりと資産運用をしている人は

ごく少数だと思います。

 

更に、一生働けるだけの知恵をもっている

人もごく少数だと思います。

 

そして、健康を維持している人も

ごく少数ですね。

 

では、まず、何を準備すべきか?

 

やはり、健康ですね。

 

健康であれば、何でもできます。

 

次は、お金です。

 

事業を自分でおこなっている人は

いろいろな挑戦をしているので

トライ&エラーの気持ちは

理解してもらえると思います。

 

しかし、会社員の人には

なかなか、理解できないかもしれませんが、

誰も、守ってはくれません。

従い、自分で自分の道を切り拓く必要が

ありますね。

 

その次のステップを考えたとき

参入しやすいビジネスは

「金持ち父さん、貧乏父さん」でも

話題になったビジネスです。

 

クリントン大統領が

推薦したビジネスでもありますね。

 

定年なし、資産拡大と教育を軸にした

ビジネスですね。

 

日本では敬遠されているようですが、

しっかりと学んで、実践すれば

確実に成果が発生します。

 

一生、仕事をするのであれば、

このようなビジネスが必要です。

 

そして、更に、

そのような場があることによって

コミュニティーが出来上がり、

年齢とともに、疎遠であった

人間関係にも学びが発生します。

 

私は、この本を読んで可能性を感じました。

 

多くの人が言葉から敬遠することはあれど

しっかりとビジネスを行っている人はいます。

 

もともと、

ユダヤの教えに含まれている内容なのですね。

 

誰もが、幸せになりたいという

目標になっているとも感じています。

 

幸せについては、

人それぞれ解釈が異なりますが、

金銭的に不自由にはなりたくないと

思うのが常ですね。

 

今一度、見直しが必要だと思いました。

 

改めて

ユダヤの教えに則しているのではないか?

とも感じました。

 

会社員でも仕事は継続できませんね。

今のところは。

 

一生、消費は必要ですが、

収入は限りがあります。

 

では、どうしたら良いかは

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常に前進ですね。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。