夢への軌跡_大雨の関東で貴重な体験でした。(笑)

20230603_大雨の関東で貴重な体験でした。(笑)

 

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【大雨の関東で貴重な体験でした。(笑)】

 

6月3日 土曜日です。

 

おはようございます。

今日も日中は大雨となるので

自宅待機が望ましい状況です。

 

体をしっかりと癒して

次のイベントに備えたい私・お父さんの肉体です。

 

しかし、そのような肉体に鞭打って

運転手の仕事が昨日は舞い込んできました。

 

ただでさえ、

次女ミー(ミータ)に3時起こされ

5時にはトイレで呼ばれ

朝8時の段階では

既にヘロヘロとなっていた私・お父さんでした。

ということで、今日のお題は

【大雨の関東で貴重な体験でした。(笑)】

です。

 

3ヶ月前に小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が予約を行った

イベントが昨日でした。

 

大田区産業会館というところで

質流品のイベントがあったのです。

 

3ヶ月間、一生懸命、

「その日に予定を入れたらダメだよ。」

と言われ続け、

大雨の中、朝から大田区産業会館へ

向かいました。

 

10時会場というイベントであったので

10時過ぎに到着できるように

準備しましたが、

既に大行列でした。(笑)

お母さん(監督)と小粒ちゃん(ネーネ・助監督)を

現場で降ろし、

私・お父さんは近辺を周遊して

駐車できる場所を探していました。

 

すると、

「帰るから、迎えにきて。」

というお母さん(監督)の号令で

致し方なく

駐車できそうな場所を後ろ目に

ピックアップに向かいました。

 

車に乗ったお母さん(監督)からは、

「外国人ばかりで、だめ!

言葉も通じないし、どこが最終列かもわからない状態!」

という烈火の如く怒ったお母さん(監督)を

車に乗せて帰宅しました。

ここで、

『三越でも行く?』

なんて甘い言葉を言うと

その誘惑に乗りそうであったので

我が家へ直行ということで

帰宅しました。

 

外出には、条件が私・お父さんにはあります。

10時前である場合には

かなり、朝一の準備を行う必要があります。

 

今回は、9時出発と言われていたので

準備を行なっていましたが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が起床後の

8時過ぎには急かされることとなり

仕方なく外出となりました。

『よろしくないなぁ。』

と思いつつも

家族孝行の私・お父さんです。

 

復路は有料道路を利用して

最短で戻ってきましたが、

帰宅後も悩まされることに。。。(笑)

 

昼寝を計画していたので

お母さん(監督)と小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の買い物には

同行せず、

自宅でゆっくりと考えていたら、

 

「お父さん、猫草あるよ。」

というどうでも良い小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の電話で

起こされ、

 

その後、改めてゆっくりしたところで

次女ミー(ミータ)がトイレを完了ということで

大きく泣き叫び、

私・お父さんの時間は無くなりました。

【大雨の関東で貴重な体験でした。(笑)】

とは、

自分の考えた通りに過ごすことはできず、

不自由を感じた一日でした。

 

まぁ、こういう日もあるのでしょう。

 

大雨警報を確認しつつ、

色々なイベントがあったものの

無事に自宅で過ごすことができている

現在の状況に感謝したいと思います。

 

今日も大雨ですねぇ。

なるべく出たくない一日となります。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2023年もほぼほぼパーフェクトとなり

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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6月3日 土曜日です。

 

じっくりとチャートと睨めっこをして

月曜以降に繋げます。

 

4HCは新たな動きのようですが、

日足が閉じているのか?

という見方もしっかりと確認したいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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1000円でこの内容はお得です。(笑)

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【い・ろ・は・組(168)_2】

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にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。