夢への軌跡_顧客との目線

20160820_顧客との目線

【顧客との目線】

おはようございます。

今日は自宅からです。

昨日、盛岡での仕事を終え、

約560キロ走破し、無事に戻ってきました。

警察のお世話にもならずに。

これも皆さんに感謝ですね。

さて、今日のお題は【顧客との目線】です。

昨日、我が社の顧客であるN社へ訪問し、

今後の展望を含め、色々事情をインタビューしました。

内容的には、100%の出来なのですが、

心配事はいくつか発生しました。

我が業界では、使用するのは病と闘っている患者さん。

購入するのは、地方の代理店さん。

その先は病院が購入。

という複雑な図式になっています。

製品を紹介するのはその病院の医師など。

売上の回収は、地方の代理店さん。

製品のメリットを伝えるのは医師や医療従事者であり、

使用されるのは患者さん。

患者さんは保険という大義のもと、

国が70%負担。個人負担は30%。

でも、優れた器材の選択は、医療従事者となります。

もし、仮に自分が患者であれば、さらに意識があれば、

自社製品を使用してもらうよう伝えますが、

意識がない場合、選択の余地はありません。

安全に使用してもらうための目線を

患者レベルまで落として、

私は、医師や医療従事者へ説明しています。

既に長い年月、販売を継続している製品なので

既知という前提であれば、問題はありませんが、

なかなか、理解されていないことも多く、

徹底した説明会が必要となります。

しかしながら、医療従事者としては、

「今まで使ってきたから大丈夫。」

という回答も少なくなく、

「これ不具合品じゃないの?」

という問い合わせも多いのが事実です。

【顧客との目線】が一致していれば、

このようなことにはならないとは思いますが、

メーカー側は ≪患者目線≫ であり、

医療従事者側は ≪購入者目線≫ であることは

否定できない世の中に疑問を感じています。
20160820_mesen

製品が登場した15年以上前は、

メーカーの説明会なくして、使用には至らなかったのですが、

現在は、普及している消耗品との認識が強いためか

患者目線での会話ができないのが辛いですね。

ということは、自分が患者になったときには

しっかりと、理解しておかないと

まずいことになりかねない可能性を秘めている

と言わざるをえないのが現実なのかもしれませんね。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

――――――――――――――――

やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

⇒ https://fukuyama-syo.com/j1cw

――――――――――――――――

今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

*****************************************

Facebookもやっています。

お気軽に友達リクエストをお待ちしております。

https://www.facebook.com/fukuyamashow

ホームページ準備中です。

夢への軌跡

ブログランキングを始めました。

よろしければ、応援をお願いいたします。

https://fukuyama-syo.com/5mrd

*****************************************

福山 紫生(Syo Fukuyama)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。