夢への軌跡_生活困窮者の話を聞き。。

20220312_生活困窮者の話を聞き。。

 

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【生活困窮者の話を聞き。。】

 

おはようございます。

3月12日 土曜日です。

 

今日は、『やること満載リスト』からの処理を目指したいと考えています。

理由は、色々と圧力のかかる内容が訪れてくるから。

という曖昧な返答にしておきたいと考えています。

 

ここのところ、頭の中に存在するのは

『社会貢献』

という言葉です。

 

特別、ベルマークコレクターではないのですが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)が好きな

キリンの生茶のペットボトルに関しては、

ベルマークを取って

飲んでもらっています。

 

袋の中には判別できないほどのベルマークが

存在します。

ということで、今日のお題は、

【生活困窮者の話を聞き。。】

です。

 

実家の整理をおこなっていました。

 

簡易用トイレというのが非常に重たく

『必要な人はいないのか?』

と考えていたので、

社会福祉協議会に連絡をしました。

 

すると、

「いただけるものはいただきます。」

 

というケアマネのセリフでした。

昨日、時間的にタイトであったのですが、

実家へ来ていただき、

不用品となる簡易用トイレを引き取ってもらいました。

 

その時に、私・お父さん的には

邪魔になる石油ファンヒーターについて

問い合わせたところ、

「生活困窮者がたくさんいるのでいただきます。」

とのこと。

 

このエリアでは、

かなり、重宝されているような我が実家の物品です。

さらに、

『こたつもあるよ。』

と伝えると、

それも必要とのこと。

 

この時期、必要のないこたつですが、

秋から冬に備えているようでした。

 

『冷蔵庫は?』

と問いかけると

それも必要とのこと。

私・お父さんは掃除が面倒なので

そのまま引き取ってもらえるところがあれば

ラッキーと考えていましたが、

 

掃除は自分で行い、

配給するとのことでした。

市で活動する社会福祉協議会の判断ですが、

本音を言えば、

『ゴミ出しでお金を払うより引き取ってもらったほうが良い!』

と考え直しました。

 

あとは、丸ごと、レンタルできれば、

いうことはないのですけどね。

【生活困窮者の話を聞き。。】

とは、

色々なところで話がまとまるようです。

 

地元での再利用ができるのであれば、

それは、ある意味一つの社会貢献となり

自己満かもしれませんが、

納得のできる結果であると考えました。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りにレッスン受講です。

2日、話さないと忘れますから。。。

1月は、パーフェクト!

2月も、パーフェクトです。

3月も順調です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

なるべく、大人しく、

そして、感染しないように、させないように

過ごしたいと思います。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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感染者数、いや、検査陽性者数は

5,674,476人になりました

重症者数は、1252人です。

そして、死亡者数は25,930人です。

この情報はNHKの発表を基準にしています。

 

兎にも角にも

自分が感染しないように、させないように

自粛をせざるを得ない状況ですね。

 

しっかりと考えて行動したいと思います。

 

重症者の定義は、

人工呼吸器を使用している患者数となります。

 

フロントラインで活動している人はたくさんいます。

その人たちに迷惑をかけないように、

大人しく、自粛です。

 

それぞれが意識高く、

手洗い、うがい、手指消毒です。

 

自分の身は自分で守らないと。。。

                      

常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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3月12日 土曜日です。

 

週末は2日間かけて

備忘録を作成していましたが、

日曜日は、肉体労働が待っているようです。

 

なので、今日中に仕上げることとなりそうです。

どこまで集中できるかはわかりませんが、

2つのシナリオで作成していきたいと考えています。

 

現時点での備忘録です。

 

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にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。