夢への軌跡_日本人の誤解を仙台で学ぶ

20161213_日本人の誤解を仙台で学ぶ

 

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【日本人の誤解を仙台で学ぶ】

 

おはようございます。

火曜日です。今朝は仙台です。

月曜日から大量行動を行って、ちょっとリラックスしたくて

行きつけのお店に伺いました。

 

過去紹介したアトモスというお店です。

調圧ルームを完備していて、

スペースも貸しているようです。

http://at-mos.com/

20161116_atomos2

そのようなところで、福山流、インタビューです。(笑)

 

さて、今日のお題は、【日本人の誤解を仙台で学ぶ】です。

 

英語教育にしても、精神教育にしても

国際社会に出たら、通用しない教育になっている我が日本に

モノ申したくて、そこで熱弁を奮ってきました。(笑)

20161116_atomos3

恐らく、聞く方も苦労されたと思います。(笑)

 

スペース貸しに、『脱ネガティブマインド』と掲載されており、

質問しました。

 

すると、先生と言われる方は『ヒーラー』とのこと。

ヒーラーとは、癒す人と言うこととなるのですが、

『なぜ、脱ネガティブマインドなのか?』と問いたくて

スタッフに確認しました。

 

その先生は、癒しの部分とメンタルの部分と両方から

診察?ではなく、面談して、本人に良かれと思うことを

伝えているようです。

 

その後はメンタルブロックが解放され、

精神的に楽になり、貴重な時間を過ごしたということが

本人に伝わるようです。

 

私はお会いしたことがないのでわかりませんが。。。

 

では、『なぜ? ネガティブになるのか?』

と考えたところ、

やはり、日本人独特の根強い文化があるようです。

 

キーワードは、『一億総中流社会』です。

3Cと呼ばれる家電品が流行語となる中、

全ては横一列で

「企業に属していれば、皆さん一緒」

という時代ですね。

 

昭和30年代から40年代の時代です。

そのころの経済成長は、右肩上がりであり、

やることなすことが経済に影響を与えていたようです。

 

そのような時代に、流れに押されるように

働いていれば、仕事にあぶれてしまう危機感もなく

誰も落ちこぼれにならずに過ごせる良い時代でした。

 

しかしながら、メンタル面では

全く、鍛えられず、「ぬるま湯」という表現が

非常に良く当てはまったのではないでしょうか?

 

今、現在は、社会の激流にもまれ

自らが考えて行動し、動かないと

漕いでいる船が転覆してしまうよう流れが速いと

言えるでしょう。

 

誰も面倒は見てもらえません

自らが動き出し、そして、結果を求めていかないと

速い流れの水に飲み込まれてしまいます。

 

常に考えて行動し、自らがリーダーシップを持たないと

行けない時代なのかもしれませんね。

20161116_atomos1

そのような話をリラックスルームでお酒も飲まずに

してしまうので、ふと我に返ると、笑ってしまいました。(笑)

 

非常に居心地の良い場所です。

仙台にお越しの際には、お立ち寄りください。

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。